ヨガスタジオの経営が順調に進んでいた2012年。私はなぜ一か月半もスタジオを休業し、インド・リシケシへ向かったのでしょうか。その背景には、生徒さんたちとの対話の中で生まれた問いがありました。本記事では、RISHIKESH YOGASHALA誕生の原点となった出来事をお話しします。
ヒマラヤの麓に位置する小さな町リシケシ。世界中からヨガ実践者や求道者が訪れるこの場所には、単なる観光地ではない特別な魅力があります。私自身の経験も交えながら、その理由をお話しします。
日本では「修行」と聞くと特別な環境や厳しい訓練を思い浮かべるかもしれません。しかしインドでは、人生そのものが修行であるという考え方があります。日常の中に息づくヨガ哲学とカルマヨガの智慧についてお話しします。
インドを訪れた多くの日本人が驚くことの一つに、時間に対する感覚の違いがあります。効率や計画を重視する日本社会と比べ、インドでは「今この瞬間」を大切にしている人が少なくありません。その背景には、ヨガ哲学やインド古来の人生観が深く関わっています。
初めてインドを訪れた人の多くが驚くことがあります。
それは、インドの人々がごく自然に「神様」の話をすることです。
仕事の話をしていても。
体調の話をしていても。
将来の話をしていても。
彼らは当たり前のように、
「God willing(神様のお導きなら)」
「By God's grace(神様の恩寵によって)」
という言葉を口にします。
長年インドで過ごす中で、私はそれが単なる宗教的な習慣ではなく、もっと深い人生観なのだと感じるようになりました。
今回は、インド人の暮らしの中に息づく「神様との距離感」についてお話したいと思います。
インド・リシケシには、言葉では説明できない独特の静けさがあります。
ガンジスの流れ。
朝のマントラ。
祈る人々。
アシュラムに流れる空気。
長年この土地で生徒たちを見ていると、リシケシでは単なる“観光マナー”ではなく、
「見えないものへの敬意」
そのものが、とても大切にされているのを感じます。
今回は、リシケシという聖地で、当校が大切にしているスピリチュアルマナーについて、「エネルギー」や「在り方」という視点から綴りたいと思います。
インドを訪れて驚くことの一つに、“豊かさ”の価値観の違いがあります。
決して裕福とは言えない生活の中でも、人にチャイを振る舞い、食事を分け合い、困っている人を助けようとする人々。
一方、物質的には豊かであっても、どこか満たされず、不安や孤独を抱えて生きる現代社会。
長年インドで生活し、多くの人々と関わる中で、私は「本当の豊かさとは何か」を何度も考えさせられてきました。
今回は、インドの精神文化に根付く「与える」という智慧について、ヨガ哲学や実体験を交えながら綴りたいと思います。
インド・リシケシ。
“ヨガの聖地”と呼ばれるこの場所には、毎年世界中から多くの人が訪れます。
しかし私は、長年この地で生徒たちを見続ける中で、あることを強く感じてきました。
それは、本当に大切なのは、
「どれだけ難しいアーサナができるか」ではなく、
“どんな在り方で、この土地と関わるか”
なのだということです。
リシケシは、単なる観光地でも、スピリチュアルを消費する場所でもありません。
そこには、インド古来の祈りや、静けさ、献身、そして「生き方としてのヨガ」が、今もなお息づいています。
今回は、当校が大切にしている「リシケシでのスピリチュアルマナー」について、単なる注意事項ではなく、ヨガ哲学や実体験を通してお伝えしたいと思います。
インド・リシケシでは、ヨガは特別なものではなく、日常の中に自然に存在しています。
祈りと共にある暮らしについて綴ります。
なぜ、多くの人がインド・リシケシでヨガを学ぶのでしょうか。
ヨガ発祥の地に流れる智慧と、本質的な学びについて綴ります。