「普通に生きられれば、それで十分です。」
相談を受けていると、この言葉を耳にすることがあります。
特別な成功を望んでいるわけではない。
有名になりたいわけでもない。
ただ、普通に働き、普通に家庭を築き、穏やかな毎日を送りたい。
それだけなのに、その「普通」が、思うように手に入らない。
だから苦しい。
しかし私は、その話を伺うたびに、心の中で静かに問いかけます。
その「普通」とは、一体誰が決めたのでしょうか。
日本では、「普通」という言葉が、とても大きな力を持っています。
普通の学校へ進み、
普通に就職し、
普通に結婚し、
普通に子どもを育て、
普通に老後を迎える。
そこから少し外れると、人は不安になります。
周囲から何か言われるわけではなくても、「自分だけ違う」という感覚が心に生まれます。
けれど、世界を見渡せば、「普通」は国によってまったく違います。
結婚の時期も、家族の形も、仕事への価値観も、生き方も違います。
百年前の日本と、現代の日本ですら、大きく変わっています。
つまり、「普通」は真理ではありません。
社会が、その時代ごとにつくり上げた一つの基準に過ぎないのです。
それでも私たちは、その基準を、自分の人生そのものだと思い込んでしまいます。
だから、「普通」から外れることを恐れます。
本当は、自分の心が望んでいない道であっても、安心のために選ぶことがあります。
反対に、自分の魂が求めている生き方であっても、「普通ではない」という理由だけで諦めてしまうことがあります。
そのとき失われるのは、社会からの評価ではありません。
自分自身とのつながりです。
ヨガ哲学には、「ダルマ」という言葉があります。
一般には「使命」や「役割」と訳されますが、それだけでは十分ではありません。
ダルマとは、その人が、その人として生きること。
宇宙の秩序の中で、自分だけに与えられた在り方を誠実に生きることです。
だから、他人の人生を真似しても、ダルマを生きることはできません。
どれほど立派に見える人生であっても、それが自分のダルマでなければ、心の奥ではどこか違和感が残ります。
反対に、周囲から理解されなくても、自分のダルマに沿って生きている人は、不思議な静けさを持っています。
それは、誰かに勝ったからでも、成功したからでもありません。
自分自身を裏切らずに生きているからです。
私たちは、他人の人生を生きるために、この世界へ生まれてきたのではありません。
誰かが決めた「普通」を完成させるためでもありません。
一人ひとりが、それぞれ異なる人生を歩みながら、この世界を豊かにするために生まれてきました。
森には、一本として同じ木はありません。
桜は桜として花を咲かせ、
杉は杉として空へ伸びます。
桜が杉になろうとはせず、
杉もまた、桜を羨みません。
違いがあるからこそ、森は豊かになります。
人もまた、本来は同じなのではないでしょうか。
現代社会は、「普通」であることに安心を与えます。
ヨガ哲学は、それよりも深い問いを差し出します。
「あなたは、自分のダルマを生きていますか。」
その問いに、正解はありません。
けれど、その問いと共に生き始めたとき、人は初めて、「普通」という見えない枠から少しずつ自由になっていくのかもしれません。
Yoga Wisdomからの問い
あなたが今、「こうあるべき」と信じている生き方は、本当にあなた自身が選んだものでしょうか。
それとも、いつの間にか「普通」という言葉を、自分の人生の物差しにしてはいないでしょうか。
RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
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