「もっと豊かになれば、もっと幸せになれる。」
私たちは、それを疑うことなく生きています。
子どもの頃は、「いい学校へ行けば幸せになれる」と教えられます。
社会へ出れば、「良い会社に入れば安心だ」と言われます。
結婚すれば幸せ。
家を買えば幸せ。
昇進すれば幸せ。
退職後はゆっくり暮らせば幸せ。
人生とは、次々と現れる「幸せの条件」を達成していく旅のように語られます。
もちろん、それらを否定するつもりはありません。
安心できる暮らしも、経済的な安定も、大切なものです。
しかし、ここで一つ、不思議なことがあります。
もし、それだけで人は幸せになれるのなら、日本は世界でも最も幸福な国の一つになっているはずです。
便利な家電があります。
コンビニは二十四時間開いています。
世界中の情報が、手のひらのスマートフォンに届きます。
医療も教育も、世界的に見れば恵まれています。
それなのに、「生きることが苦しい」と感じる人は少なくありません。
孤独を抱える人は増えています。
うつ病や不安障害は社会問題となり、自ら命を絶つ人も後を絶ちません。
豊かさは増えたのに、心の余裕は減っている。
これは、現代社会が抱える大きな矛盾ではないでしょうか。
私はヨガ講師として約二十年、多くの方々と対話を重ねてきました。
会社で責任ある立場にいる方。
子育てに全力を尽くしているお母さん。
介護に追われる人。
定年後、「これから何のために生きればいいのだろう」と戸惑う人。
立場も年齢も違うのに、皆さんが口にする問いには、不思議な共通点がありました。
「私は、このままでいいのでしょうか。」
この問いは、「もっとお金が欲しい」という話ではありません。
「もっと成功したい」という話でもありません。
もっと根源的な、「自分の人生は、このままで意味があるのだろうか」という問いです。
そして私は、この問いに初めて真正面から向き合ったのが、インドで学んだヨガ哲学でした。
ヨガ哲学では、人間の苦しみは「欲しいものが手に入らないこと」から生まれるとは考えません。
むしろ、「何かを手に入れれば、ようやく幸せになれる」と信じ続ける心そのものが、苦しみを生み出すと考えます。
少し考えてみてください。
新しいスマートフォンを買ったときの喜びは、どれくらい続くでしょうか。
昇進した喜びは。
憧れだった家を手に入れた満足感は。
最初は大きな喜びでも、やがてそれは「当たり前」になります。
すると私たちは、また次の何かを求め始めます。
もっと評価されたい。
もっと認められたい。
もっと安心したい。
もっと自由になりたい。
現代社会は、「もっと便利に」「もっと豊かに」「もっと効率よく」という願いに応えながら発展してきました。
その過程で、「今のままでは足りない」という感覚もまた、私たちの日常の一部になっていったのかもしれません。
しかし、ヨガ哲学は静かに問いかけます。
本当に足りないのでしょうか。
それとも、「足りない」と思い続ける心の習慣があるだけなのでしょうか。
これは決して、「欲を捨てなさい」という話ではありません。
向上心を持つことも、夢を追いかけることも、人間らしい営みです。
問題なのは、人生そのものを「まだ完成していないもの」と考え続けることです。
今ここにいる自分では不十分。
何者かにならなければ価値がない。
もっと努力しなければ愛されない。
そんな思い込みが、自分自身を追い立て続けます。
ヨガとは、何か特別な人間になるための教えではありません。
すでに与えられている命の価値に気づくための智慧です。
ヨガは、「もっと頑張れ」とは教えません。
まず立ち止まり、静かに自分の心を見つめることから始めます。
現代社会に必要なのは、便利さを手放すことではありません。
豊かさを否定することでもありません。
その豊かさの中で、自分自身を見失うことなく生きる智慧を育むことです。
私たちは今、「どうすればもっと豊かになれるか」を考える時代から、「豊かさとは何か」を問い直す時代へ入っているのではないでしょうか。
そして、その問いに静かに答え続けてきた智慧の一つが、古代インドのヨガ哲学なのです。
Yoga Wisdomからの問い
あなたが今日一日、追いかけていたものは何でしたか。
そして、それを手に入れたとき、本当に心は満たされるでしょうか。
RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
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