これまで、このシリーズでは、魂の原型や魂の契約という視点から、人生を見つめてきました。
すると、ときどきこんなご質問をいただくことがあります。
「魂の契約を知れば、人生は楽になるのでしょうか。」
私は、その問いに対して、いつも同じようにお答えしています。
苦しみそのものがなくなるわけではありません。
人生には、別れがあります。
病があります。
思い通りにならない出来事もあります。
大切な人を失う悲しみもあります。
それらは、魂の契約を知ったからといって、なくなるものではありません。
では、何が変わるのでしょうか。
変わるのは、「出来事」ではなく、「出来事との向き合い方」です。
『ヨーガ・スートラ』第二章では、人間の苦しみの原因としてクレーシャ(kleśa)が説かれています。
無知(アヴィディヤー)。
自我への執着(アスミター)。
快への執着(ラーガ)。
苦への嫌悪(ドヴェーシャ)。
そして、死への根源的な恐れ(アビニヴェーシャ)。
ヨガ哲学は、苦しみそのものを否定しているのではありません。
私たちの心が、その出来事にどのように反応しているのかを丁寧に見つめています。
だからヨガは、「苦しまない方法」を教えるのではなく、「苦しみに飲み込まれない智慧」を育てようとするのです。
『バガヴァッド・ギーター』の中で、戦場に立つアルジュナもまた、深い苦悩の中にいました。
愛する人たちと戦わなければならない現実を前に、彼は弓を置き、「戦えません」と語ります。
その姿は、決して弱い人間として描かれているのではありません。
人生の前で立ち尽くす、一人の私たち自身の姿でもあります。
だからクリシュナは、「苦しむな」とは言いませんでした。
苦しみの中でも、自らのダルマを見失わないこと。
結果に心を奪われるのではなく、今この瞬間に誠実であること。
その生き方こそがヨーガであると説いたのです。
私は、この教えに何度も支えられてきました。
人生には、答えの出ない問いがあります。
どれほど考えても意味が分からない出来事もあります。
しかし、その出来事の意味をすぐに理解できなくても、「この経験を通してもなお、私は誠実であり続けられるだろうか」と自らに問い続けることはできます。
その問いは、苦しみを消してくれるわけではありません。
けれど、苦しみの中で、自分自身を見失わない力を育ててくれます。
魂の契約を知ることは、未来を知ることではありません。
人生を思い通りにするためでもありません。
人生を、より深く受け止められるようになることです。
そして、その視点を持った時、苦しみは「避けるべき敵」ではなく、自分を育ててくれる人生の師となることがあります。
ヨガとは、人生から試練をなくす智慧ではありません。
どのような試練の中にあっても、本来の自分を見失わずに生きる智慧なのです。
だから私は、魂の契約を知ることがゴールだとは思いません。
そこから、日々の人生をどのように生きるか。
その一歩一歩こそが、本当のヨガの実践なのではないでしょうか。
RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
