ヨガというと、多くの方はポーズや呼吸法、瞑想を思い浮かべるかもしれません。
もちろん、それらはヨガの大切な実践です。
しかし、古代インドで受け継がれてきたヨガは、それだけではありません。
「どのように生きるのか。」
それが、ヨガ哲学の中心にある問いです。
『バガヴァッド・ギーター』では、クリシュナはアルジュナに繰り返し「行為」について語ります。
そして第三章では、興味深い教えが説かれています。
人は、自分の利益だけを求めて行為すると、その行為に縛られてしまう。
しかし、その行為を世界の調和のために行うなら、その行為はヨーガになる。
この考え方は、ローカ・サングラハ(Lokasaṅgraha)と呼ばれています。
「世界を支えること」
「社会の調和を保つこと」
という意味です。
つまり、ヨガとは、自分一人が救われるための道ではありません。
自分自身を整え、その智慧を周囲へと還元していく道でもあるのです。
その実践の一つが、セヴァ(Sevā)です。
セヴァは、一般的には「奉仕」と訳されます。
しかし、日本語の奉仕という言葉には、「自分を犠牲にして尽くす」という印象を持つ方もいるかもしれません。
本来のセヴァは、少し意味が異なります。
見返りを求めない行為。
評価を求めない行為。
「私はこれだけやった」という執着を手放した行為。
そうした純粋な行いを、インドではセヴァと呼びます。
だからセヴァは、特別な活動ではありません。
大きな団体を作ることでもありません。
遠い国へ支援に行くことだけでもありません。
目の前にいる人へ、温かく挨拶をすること。
困っている人に、そっと手を差し伸べること。
植物に水をあげること。
動物の命を大切にすること。
地域をきれいに保つこと。
未来の子どもたちのことを考えて行動すること。
その一つひとつも、立派なセヴァです。
『ヨーガ・スートラ』では、アヒムサー(非暴力)が最初に説かれています。
誰かを傷つけないこと。
それは単に暴力を振るわないという意味ではありません。
思いやりをもって接すること。
生命を尊ぶこと。
慈悲の心を育てること。
そのような日々の積み重ねが、自然とセヴァへとつながっていきます。
私は、長年ヨガを学び、多くの先生方と出会う中で、一つ共通して感じてきたことがあります。
本当に成熟した人ほど、「私は人を助けている」とは言いません。
ただ、ごく自然に、人のために動いています。
ごく自然に、生命を大切にしています。
そこには、「奉仕をしている」という意識さえありません。
呼吸をするように、人を思いやる。
それが、その人の生き方になっているのです。
だから私は、魂の成熟とは、特別な能力を得ることではなく、
自分だけの幸せを願う心が、少しずつ周囲へと広がっていくことなのではないかと感じています。
家族へ。
友人へ。
地域へ。
自然へ。
動物たちへ。
そして、この地球全体へ。
その広がりは、努力して作るものではありません。
ヨガを実践し、心が静かになっていくほど、本来私たちは分離した存在ではなかったことを思い出し、自然と湧き上がってくるものなのでしょう。
だからセヴァとは、「良いことをする」という道徳ではありません。
ワンネスを少しずつ思い出した魂が、ごく自然に表現する愛のかたちなのだと、私は感じています。
RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
