「すべては決まっている。」
そんな言葉を耳にすることがあります。
一方で、
「人生は自分次第だ。」
という考え方もあります。
では、本当はどちらなのでしょうか。
私は長い間、この問いを考え続けてきました。
もし魂が、この人生で学ぶテーマをある程度選んで生まれてくるのだとしたら。
家族との出会いも。
大切な人との別れも。
人生を変える出来事も。
ある意味では、魂の学びとして用意されているのかもしれません。
けれど、それは「人生のすべてが最初から決められている」という意味ではないと、私は感じています。
たとえば、同じ試練に出会った二人がいたとします。
一人は、その出来事を恨み続けるかもしれません。
もう一人は、その出来事を通して、自分自身を深く見つめ直すかもしれません。
起きた出来事は同じです。
しかし、その出来事をどう受け止め、どう生きるかによって、その後の人生は大きく変わっていきます。
私は、ここに自由意志があるのだと思っています。
ヨガ哲学では、「カルマ」はしばしば「運命」と訳されます。
しかし、本来のカルマとは、「行為」を意味する言葉です。
つまり、未来は過去によって決まるのではなく、今この瞬間の行為によって、新しいカルマが生まれていくのです。
だから私たちは、過去を変えることはできません。
しかし、今をどう生きるかは選ぶことができます。
私は、生徒さんから人生相談を受けるたびに、このことを強く感じてきました。
同じ苦しみを経験しても、それを人生最大の不幸だと受け止める人もいます。
一方で、「あの経験があったから今の私がいる」と語る人もいます。
違うのは、出来事ではありません。
その出来事と、どのように向き合ったかなのです。
だから私は、「魂の契約」という考え方も、運命論として受け取ってほしくありません。
「契約だから仕方がない。」
「前世で決まっていたから変えられない。」
そう考えてしまえば、人は成長を止めてしまいます。
むしろ、その逆です。
もし魂が学ぶテーマを選んできたのだとしたら、その学びをどのように深めるかは、この人生の自分自身に委ねられています。
同じ課題でも、恐れながら学ぶこともできます。
感謝しながら学ぶこともできます。
抵抗し続けることもできます。
受け入れることもできます。
その選択こそが、新しいカルマを生み出していくのです。
だから私は、「運命」と「自由意志」は対立するものではないと思っています。
人生には、大まかな流れがあるのかもしれません。
けれど、その川をどのような姿勢で渡るかは、私たち自身が選ぶことができます。
私は、その自由があるからこそ、人生には希望があるのだと思っています。
もしすべてが決められているだけなら、努力も、祈りも、瞑想も必要ありません。
しかし現実には、人は変わることができます。
許せなかった人を許せるようになります。
憎しみを感謝へ変えることもできます。
恐れの中で生きていた人が、勇気を持って一歩を踏み出すこともできます。
私は、その変化を何度も目の前で見てきました。
だからこそ、ヨガとは未来を予言するためのものではなく、「今、この瞬間の生き方」を変えていく智慧なのだと思っています。
そして、一つの問いが残ります。
もし私たちが自由意志によって魂を成熟させていけるのだとしたら、その旅の終わりには、何が待っているのでしょうか。
魂は、どこへ向かって成長していくのでしょうか。
次回は、このシリーズの締めくくりへ向けて、「魂の成熟」というテーマについて、一緒に考えていきたいと思います。
RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
