魂の原型と契約⑱ 私たちは、なぜ魂の契約を忘れてしまうのだろう ― 忘れることにも意味がある ―


もし魂が、この人生で学ぶテーマを選び、大切な人たちとの約束を交わして生まれてくるのだとしたら、一つの疑問が生まれます。

 

それほど大切な約束なら、なぜ私たちは覚えていないのでしょうか。

もし最初からすべてを知っているのなら、人生はもっと楽になるはずです。

苦しみも減るでしょう。

迷うことも少なくなるでしょう。

 

けれど現実には、私たちは何も覚えていません。

人生の途中で迷い、悩み、ときには自分を見失います。

 

私は長年、このことを不思議に思っていました。

しかしヨガ哲学を学び、瞑想を続ける中で、一つの見方が少しずつ育ってきました。

 

忘れることにも意味があるのではないか。

 

もし人生が、最初から答えの分かっている試験だったら、本当の学びにはならないでしょう。

結末を知っている映画では、心は動きません。

答えを知っている旅では、発見も感動も生まれません。

 

だから私たちは、一度忘れるのかもしれません。

そして、その人生を本当に生きるために。

 

古代インドでは、人間の苦しみの根本原因をアヴィディヤー(無明)と呼びます。

それは単なる知識不足ではありません。

 

本来の自分を忘れている状態です。

 

私は、この教えに初めて触れた時、とても深く心を動かされました。

 

人生とは、新しい何かを手に入れることではなく、本来の自分を思い出していく旅なのかもしれない。

 

そのように感じたからです。

振り返ると、私自身の人生もそうでした。

 

幼い頃から感じていた違和感。

人生の意味を問い続けた日々。

ヨガとの出会い。

インドへの旅。

瞑想。

 

どれも、新しいものを探していたというより、自分の中にあった何かを思い出していく過程だったように思います。

 

だから私は、瞑想とは「特別な能力を得るためのもの」ではないと考えています。

未来を知るためでもありません。

過去生を見るためでもありません。

 

静かに自分自身と向き合い、本来の自分を覆っている思い込みや恐れ、執着を少しずつ手放していく営みです。

 

そうして心が静まった時、人は初めて、自分の人生に流れている一本の糸に気づき始めます。

 

「あの出会いにも意味があった。」

「あの別れも必要だった。」

「あの苦しみが、今の私を育ててくれた。」

 

その気づきは、誰かから教えられるものではありません。

自分自身の人生を丁寧に生きた人だけが、静かに受け取ることのできる智慧なのだと思います。

 

だから私は、「魂の契約」を知ることよりも大切なことがあると感じています。

 

それは、今日という一日を誠実に生きることです。

 

その積み重ねの中で、人生の意味は少しずつ姿を現していくのではないでしょうか。

 

では、もし魂の契約があり、私たちには自由意志も与えられているのだとしたら、人生はどこまで決まっていて、どこからが自分自身の選択なのでしょうか。

 

次回は、「カルマと自由意志」というテーマを通して、この問いをさらに深く探究していきたいと思います。

 

 

RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom

 

サティヤプレーマ