魂の原型と契約⑩ 探究者という魂の原型 ― 答えを求めるのではなく、真理を生きようとする魂 ―


人には、大きく二つの学び方があるように思います。

 

一つは、答えを知ることで安心する人。

もう一つは、答えが出なくても問い続けることに喜びを感じる人です。

 

私は後者でした。

幼い頃から、「なぜ」という問いが尽きませんでした。

 

なぜ人は生きるのだろう。

なぜ苦しみがあるのだろう。

なぜ人は愛し合いながら傷つけ合うのだろう。

 

その頃の私は、ヨガも、インド哲学も知りませんでした。

ただ、答えのない問いを抱えながら、何十年も日記を書き続け、自分の心と対話していました。

 

その問いは、ヨガに出会っても終わりませんでした。

むしろ、ヨガによってさらに深くなっていったのです。

 

インドでヴェーダや『ウパニシャッド』を学び始めた時、私は驚きました。

そこには、私が幼い頃から問い続けてきたことと、まったく同じ問いが書かれていたからです。

 

「私は誰なのか。」

「この世界とは何なのか。」

「死とは終わりなのか。」

 

古代インドの賢者たちも、私たちと同じように人生に疑問を抱き、その答えを探していたのです。

 

しかし、一つだけ現代と大きく違うことがあります。

 

彼らは、考え続けただけではありませんでした。

 

深い瞑想を実践し、自らの意識を観察し、その体験を通して真理を確かめようとしました。

 

だから私は、ヴェーダや『ウパニシャッド』を読むたびに感じます。

 

これらは哲学書というよりも、探究の記録なのだと。

 

真理を頭で組み立てた理論ではありません。

人生を懸けて問い続けた人々の足跡です。

 

私は、この姿勢に深く共感します。

なぜなら、私自身も「信じたいから信じる」のではなく、「自分自身で確かめたい」という思いで歩んできたからです。

 

四十回を超える渡印も、その一つでした。

聖典を学び、瞑想を重ね、多くの師と対話し、自分自身の人生を何度も振り返る。

その積み重ねの中で、少しずつ自分なりの理解が育っていきました。

 

探究者という魂の原型を持つ人は、知識を集めることが目的ではありません。

真理に近づくことを願っています。

 

だから、分からないことを恐れません。

むしろ、「分からない」という状態を大切にします。

 

ヨガには、「ネーティ・ネーティ(Neti Neti)」という教えがあります。

 

「これは私ではない。」

「これでもない。」

 

そうやって、一つひとつ思い込みを手放していくことで、本質へ近づいていく智慧です。

 

私は、この教えに探究者の魂を見るのです。

答えを積み重ねるのではなく、不要なものを手放していく。

その先に、静かに真理が姿を現す。

 

探究者という魂の原型を持つ人は、ときに周囲から理解されにくいかもしれません。

効率や結果を求める社会では、「まだ答えが出ないの?」と言われることもあるでしょう。

 

けれど、本当の探究には時間が必要です。

芽が出るまで土の中で育つ種のように、見えない時間があるからこそ、深い智慧が育まれていきます。

 

そして、探究者にはもう一つの特徴があります。

それは、真理を自分だけのものにしようとしないことです。

 

自分が見つけた智慧を、次の世代へ静かに手渡していく。

古代インドの賢者たちがそうであったように。

 

私もまた、その一人でありたいと願っています。

だからYoga Wisdomを書いています。

 

答えを与えるためではありません。

皆さんが、それぞれの人生を通して、自分自身の真理を探究していく、その小さなきっかけになれたらと願っているのです。

 

そして、探究する人がいる一方で、「自分のため」よりも「誰かのため」に生きることへ深い喜びを感じる魂があります。

 

次回は、「奉仕者」という魂の原型について、カルマ・ヨガの智慧とともに探究していきたいと思います。

 

 

RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom

 

サティヤプレーマ