長年、多くの方々と出会ってきて、私が何度も感じてきたことがあります。
人は皆、同じように生きているようでいて、本当に大切にしているものが違います。
同じヨガを学んでも、
身体の可能性を伝えたい人がいます。
心に寄り添いたい人がいます。
哲学を深めたい人がいます。
自然の中で生きることに喜びを感じる人もいます。
同じ出来事に出会っても、
励まされる人。
挑戦しようと思う人。
静かに受け止める人。
涙を流しながら誰かを許そうとする人。
その反応も、一人ひとり違います。
なぜ、人はこれほど違うのでしょう。
なぜ、人生で繰り返し与えられる役割も、人によって異なるのでしょう。
ヨガ哲学では、人にはそれぞれスヴァバーヴァという本来の性質があり、その性質に応じたスヴァダルマがあると説かれています。
私は、この教えを学び続ける中で、一つの理解へと導かれるようになりました。
それが、私が「魂の原型」と呼んでいるものです。
もちろん、この言葉はヨガの聖典に明確に書かれているものではありません。
しかし、二十年近くヨガを指導し、多くの人生に寄り添い、四十回を超えるインドでの学びと瞑想を重ねる中で、私は一人ひとりの魂には、それぞれ育もうとしている本質があるように感じるようになりました。
ある人は、人を癒すことで魂が輝きます。
身体を整えることだけではありません。
安心を与えること。
話を聴くこと。
存在そのもので人を和らげること。
そのような「癒し手」の原型を持つ人がいます。
またある人は、真理を伝えることに喜びを感じます。
知識を教えるだけではありません。
人が本来の自分に気づくきっかけを与えること。
そのような「教師」の原型を持つ人もいます。
探究することそのものが人生になる人もいます。
答えを急がず、問い続けることをやめない人。
目に見えない世界を理解しようと、一生をかけて学び続ける人。
私は、そのような方を「探究者」の原型として見てきました。
他にも、
人と人を結ぶことを自然に行う人。
社会に新しい風を吹き込む人。
静かに誰かを支え続ける人。
芸術や創造を通して人の心を動かす人。
その現れ方は、本当にさまざまです。
だから私は、「魂の原型」に優劣はないと思っています。
癒し手が教師より優れていることもありません。
教師が探究者より尊いこともありません。
どれも、この世界に必要だからです。
大切なのは、自分が誰かの原型を真似して生きることではありません。
自分自身の原型を育てることです。
人生の途中では、その原型が見えなくなることもあります。
周囲に合わせようとして、本来の自分を見失うこともあります。
私自身も、そのような時期がありました。
けれど人生を振り返ると、不思議なことに、本当に大切なものは何度でも自分の前に現れます。
心が惹かれること。
何度離れても戻ってしまうこと。
人生を通して繰り返し求められる役割。
そこには、自分だけの魂の原型を知るための、大切な手がかりが隠されているように思うのです。
では、その魂の原型は、どのようにすれば見えてくるのでしょうか。
私たちは何を手がかりに、自分だけの人生の地図を読み解いていけばよいのでしょうか。
次回は、その問いについて、「人生を振り返る」というヨガの実践を通して、さらに探究を深めていきたいと思います。
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RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
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