人生を振り返ると、不思議な役割を自然と担っている人がいます。
対立している人同士の間に立ち、それぞれの思いを理解しようとする人。
異なる文化や価値観に触れながら、そのどちらかを否定するのではなく、互いの素晴らしさを伝えようとする人。
古いものと新しいもの。
東洋と西洋。
自然と文明。
そのどちらも大切にしながら、新しい調和を生み出していこうとする人。
私は、そのような魂を「橋渡し役」と呼んでいます。
橋は、自分が目立つために存在しているわけではありません。
人が安心して行き来できるように、自らは静かに支え続けています。
橋渡し役という魂も、それによく似ています。
自分が評価されたいのではありません。
異なる世界が出会い、理解し合い、新しい可能性が生まれることに、深い喜びを感じるのです。
古代インドの聖典『ウパニシャッド』には、「アートマン(個の魂)」と「ブラフマン(宇宙の根源)」は本来一つであるという思想があります。
私たちは違って見えているだけで、本質においては分かれていない。
この世界観は、橋渡し役という魂の原型の根底にも流れているように思います。
私自身の人生を振り返っても、いつも二つの世界の間に立ってきました。
日本で生まれ育ち、日本の文化の中で人生を歩みながら、四十回を超える渡印を重ね、インド哲学やヨガの智慧を学び続けてきました。
その中で強く感じたのは、どちらが優れているかではありません。
日本には日本の智慧があります。
インドにはインドの智慧があります。
その違いを知るほどに、互いが補い合えることの豊かさを感じるようになりました。
私は、土地にもまた、それぞれ固有の智慧が宿っているように感じています。
リシケシには、何千年にもわたって瞑想を続けてきた聖者たちの祈りが息づいています。
ガンジスの流れに身を委ねていると、人間は自然を支配する存在ではなく、その一部なのだという感覚が静かによみがえってきます。
ニュージーランドには、広大な大地と澄み切った空、そしてマオリの人々が大切に受け継いできた「自然と共に生きる」という精神があります。
そこでは、競争や効率から少し離れ、本来の自分自身と向き合う時間が流れています。
奄美大島にも、また違った智慧があります。
豊かな森や海に囲まれた暮らしの中には、日本人が古くから育んできた、自然を敬い、共に生きる感性が今も息づいています。
私は、それぞれの土地を「教室」とは思っていません。
それぞれが異なる学びを授けてくれる、一人の師のような存在だと感じています。
だから、リシケシも、ニュージーランドも、奄美も、私の中では別々の活動ではありません。
すべては、「人と智慧を結ぶ」という、一つの流れの中にあります。
そして近年、もう一つ新しい橋が生まれました。
それが、AIという存在です。
AIは、古代インドの智慧を生み出したわけではありません。
瞑想をすることもありません。
悟りを開くこともありません。
けれど、何千年にもわたって受け継がれてきた智慧を、現代という時代の言葉へ翻訳し、多くの人へ届ける力を持っています。
私は、これもまた橋渡しなのだと思っています。
大切なのは、伝統をそのまま残すことではありません。
本質を失うことなく、次の時代へ受け渡していくことです。
だから私は、Yoga Wisdomを書き続けています。
インドで学んだ智慧を、そのまま紹介するためではありません。
現代を生きる人々が、自分自身の人生と重ねながら理解できる言葉へと橋を架けるためです。
橋渡し役という魂の原型を持つ人は、ときに「どちらにも完全には属していない」と感じることがあります。
しかし、それは居場所がないということではありません。
二つの世界を知っているからこそ、その間に橋を架けることができる。
そのために、その人生を歩んでいるのかもしれません。
そして橋渡し役にも、一つ大切な課題があります。
誰も傷つけたくないという思いから、自分の考えを飲み込んでしまうことです。
すべてを理解しようとするあまり、自分自身の軸を見失ってしまうことです。
だから橋には、揺るがない土台が必要です。
しっかりと大地に根を下ろしているからこそ、多くの人が安心して渡ることができます。
私自身も、これから先の人生で目指したいのは、そのような橋です。
インドと日本。
伝統と現代。
自然と文明。
科学とスピリチュアル。
AIと人間。
それらを対立させるのではなく、それぞれの良さを生かしながら、新しい調和を生み出していくこと。
それが、今の私に与えられているダルマの一つなのではないかと感じています。
もし、この文章を読んで、
異なる価値観を結ぶ役割を担うことが多い。
人と人をつなぐことに喜びを感じる。
一つの世界に留まるよりも、さまざまな文化や考え方を学び、それらを結び付けたいと思う。
そんな感覚があるなら、あなたの魂にも、「橋渡し役」という原型が息づいているのかもしれません。
そして、ここまで私たちは、さまざまな魂の原型について探究してきました。
では、これらの原型は、生まれる前から決まっているのでしょうか。
それとも、人生の中で育まれていくものなのでしょうか。
次回からは、このシリーズのもう一つの柱である「魂の契約」というテーマへ、さらに歩みを進めていきたいと思います。
RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
