人は皆、自分のために生きています。
この言葉を聞くと、少し冷たく感じるかもしれません。
しかし私は、それは決して悪いことではないと思っています。
まず自分が幸せでなければ、誰かを幸せにすることは難しいからです。
一方で、この世界には少し違う喜びを知っている人たちがいます。
誰かの笑顔を見ると、自分も嬉しくなる。
困っている人を見ると、自然と手が動く。
感謝されなくても、あまり気にならない。
与えることが苦ではなく、むしろ喜びになっている。
そのような人たちを見ていると、私は「奉仕者」という魂の原型を感じます。
ここでいう奉仕とは、自己犠牲ではありません。
この二つは、とても似ているようで、本質的にはまったく違います。
自己犠牲は、自分を失います。
しかし、本当の奉仕は、自分を生かします。
古代インドには、カルマ・ヨガという教えがあります。
『バガヴァッド・ギーター』の中でクリシュナは、
「行為の結果に執着することなく、自らのなすべきことを行いなさい。」
と語ります。
この教えは、とても深い意味を持っています。
私たちは、何かを行う時、つい結果を求めます。
評価されたい。
認められたい。
成功したい。
もちろん、それが悪いわけではありません。
しかし、結果だけに心が向くと、思い通りにならなかった時に苦しみが生まれます。
カルマ・ヨガは、その執着を少しずつ手放していく道です。
目の前にいる人を大切にする。
今できることを、誠実に行う。
結果は、自分だけでは決められない。
だからこそ、行為そのものを美しくしていく。
私は、この生き方にとても惹かれます。
長年ヨガを伝えてきて思うのは、本当に奉仕者の原型を持つ人ほど、自分が奉仕しているとは思っていないということです。
「好きだからやっているだけです。」
そう笑って話します。
その姿は、とても自然です。
川が流れるように。
花が咲くように。
誰かの役に立つことが、その人にとって自然な呼吸になっています。
一方で、奉仕者という原型にも課題があります。
それは、「与え続けてしまうこと」です。
人を優先し、自分を後回しにする。
頼まれると断れない。
疲れていても、「大丈夫です」と笑ってしまう。
実は、この状態はカルマ・ヨガとは少し違います。
なぜなら、ヨガは調和を大切にするからです。
自分を満たしながら、人にも与える。
受け取ることも、与えることも、どちらも自然であること。
それが、本来の奉仕なのだと私は思います。
私自身も、若い頃は「もっと役に立たなければ」と思い続けていました。
しかし年齢を重ねる中で、一つ学んだことがあります。
本当に人の役に立つためには、自分自身の心も穏やかでなければならない。
焦りから生まれる奉仕ではなく、
喜びから生まれる奉仕。
義務から生まれる奉仕ではなく、
愛から生まれる奉仕。
その違いは、とても大きいように思います。
奉仕者という魂の原型を持つ人は、人のために生きる人ではありません。
「私」と「あなた」を分ける境界が、少しずつ薄れていく中で、
誰かの幸せが、自分の幸せにもなっていく。
そのような生き方を、この人生で学ぼうとしている魂なのではないでしょうか。
そして、この世界には、与えることでも、教えることでもなく、
「守ること」に人生を捧げる魂があります。
家族を守る人。
文化を守る人。
自然を守る人。
命を守る人。
次回は、「守護者」という魂の原型について、古代インドのダルマとともに探究していきたいと思います。
RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
