魂の原型と契約シリーズ 本章 第一章 なぜ人生には同じ課題が繰り返されるのか― ヨーガスートラに学ぶ「苦しみ」の正体 ―


序章では、私自身の人生を振り返りながら、魂の成熟や人生の転機について綴ってきました。

 

ここからは本章です。

 

これまでの人生経験を土台としながら、ヨガ哲学の智慧を通して、人間の成長や人生の意味について、もう少し深く探究していきたいと思います。

 

その最初のテーマは、多くの人が人生のどこかで抱く、とても素朴でありながら本質的な問いです。

 

なぜ人生には、同じような課題が繰り返されるのでしょうか。

 

生きていると、不思議な感覚に襲われることがあります。

 

「また同じことが起きた」

 

という感覚です。

 

人間関係を変えたはずなのに、なぜか似たような葛藤に出会う。

職場を変えたはずなのに、同じような悩みを抱える。

パートナーが変わっても、繰り返される感情のパターンがある。

 

ある人はお金の問題を抱え続け、ある人は健康の問題と長く向き合います。

 

 

もちろん、人生に起きる出来事のすべてを単純化することはできません。

 

世の中には理不尽な出来事もあります。

努力ではどうにもならない現実もあります。

予測できない喪失や病もあります。

 

それでも人生を長い時間軸で振り返ると、多くの人がある共通点に気づきます。

表面的な出来事は違っていても、その奥には繰り返されるテーマが存在しているのです。

 

若い頃の私は、人生とは前へ進んでいくものだと思っていました。

経験を積み、知識を学び、人として成長していけば、苦しみも減っていくのだろうと考えていました。

 

けれど現実は、必ずしもそうではありませんでした。

 

人は年齢を重ねても、同じことで傷つきます。

知識を得ても、同じ反応を繰り返します。

 

十分に学んだと思っていた課題が、形を変えて再び現れることもあります。

そしてそのたびに、私は問い続けてきました。

 

なぜなのだろう、と。

 

この問いに対して、ヨガ哲学はとても興味深い視点を示しています。

 

パタンジャリは『ヨーガ・スートラ』第二章第三節で、人間の苦しみの根源を「クレーシャ」と呼びました。

avidyā-asmitā-rāga-dveṣa-abhiniveśāḥ kleśāḥ

無知(アヴィディヤー)、自我意識(アスミター)、執着(ラーガ)、嫌悪(ドヴェーシャ)、そして死への恐れ(アビニヴェーシャ)。

 

これらが人間の苦しみの根源であると説いています。

 

ここで注目したいのは、パタンジャリが苦しみの原因を外側に求めていないことです。

 

人生の問題は、社会のせいでも、家族のせいでも、環境のせいでもない、と言いたいわけではありません。

 

そうではなく、それらに対して私たちがどのように反応しているのか、その心の働きに目を向けているのです。

 

同じ出来事が起きても、人によって受け取り方は大きく異なります。

 

ある人は絶望し、ある人はそこに学びを見出します。

ある人は怒り続け、ある人は成長のきっかけとします。

 

つまり人生を決定づけているのは、出来事そのものではなく、その出来事に出会ったときの意識の在り方なのです。

 

私自身、人生を振り返ると、繰り返されるテーマがありました。

当時はその意味が分かりませんでした。

 

なぜ同じような状況に出会うのか。

なぜ似たような葛藤を経験するのか。

 

問題の渦中にいるとき、人はなかなか全体像を見ることができません。

 

けれどヨガ哲学を学び、生徒さんたちの人生とも向き合い続ける中で、少しずつ理解できるようになったことがあります。

 

人生は私たちを罰しているのではない。

人生は私たちに、まだ理解していないことを教えようとしているのではないか。

 

執着があるなら、その執着と向き合う機会が訪れる。

恐れがあるなら、その恐れと向き合う機会が訪れる。

自己否定があるなら、自分自身を受け入れる機会が訪れる。

 

だから課題は消えません。

 

理解されるまで、形を変えながら私たちの前に現れ続けるのです。

 

この視点は、『バガヴァッド・ギーター』にも通じています。

ギーターは人生を戦場として描きました。

 

しかし、その戦いは外側の敵との戦いだけではありません。

私たち自身の内側にある迷い、執着、恐れとの戦いでもあります。

 

そして、その戦いから逃げることなく向き合うことこそが、ダルマ(人生の使命)であると説いているのです。

 

多くの人は人生を変えようとします。

 

環境を変えます。

仕事を変えます。

住む場所を変えます。

人間関係を変えます。

 

もちろん、それが必要な場合もあります。

 

しかしヨガ哲学は、その前に静かに問いかけます。

 

本当に変えるべきものは何だろうか、と。

 

もし心の奥にある反応パターンが変わらなければ、人生は再び同じテーマを運んできます。

だからヨガとは、単なる身体運動ではありません。

 

自分自身を観察し、自分自身を理解し、そして自分自身を超えていくための道なのです。

 

では、その繰り返される反応や人生の癖は、どこに刻まれているのでしょうか。

 

ヨガ哲学では、それを「サムスカーラ(潜在印象)」と呼びます。

 

次回は、このサムスカーラという概念を通して、なぜ私たちが同じパターンを繰り返してしまうのかを、さらに深く探究していきたいと思います。

 

 

RISHIKESH YOGASHALA

Yoga Wisdom

サティヤプレーマ