人生について深く考え始めると、多くの人がある問いに行き着きます。
「私の使命とは何だろう。」
この問いはとても美しく、同時にとても難しい問いでもあります。
現代ではダルマという言葉が広く知られるようになりました。
ヨガを学ぶ人の間でも、「使命」という意味で使われることが少なくありません。
けれど、本来のダルマはもう少し奥深い概念です。
それは単に「何をするか」ではなく、「どのように在るか」に関わる教えだからです。
私自身、若い頃は使命という言葉をもっと大きなものだと思っていました。
何か特別なことを成し遂げること。
社会に大きな影響を与えること。
誰かの役に立つこと。
もちろんそれらも大切です。
しかし人生を重ねるにつれ、少しずつ見方が変わってきました。
なぜなら、本当に人生を変えるのは華やかな成功ではなく、日々の選択だからです。
どんな言葉を使うのか。
どんな思いで人と接するのか。
困難に直面した時、何を選ぶのか。
その積み重ねこそが人生を形づくっています。
『バガヴァッド・ギーター』の中で、アルジュナは戦うことを拒みます。
愛する家族や師と戦うことに意味を見出せなくなったからです。
その時クリシュナは、アルジュナに対して「自らのダルマを生きよ」と語ります。
興味深いのは、クリシュナが「好きなことをしなさい」とは言わなかったことです。
また「楽な道を選びなさい」とも言いませんでした。
むしろ、自分に与えられた課題から逃げるな、と語ったのです。
ここにダルマの重要な本質があります。
ダルマとは、自分が心地よいと感じることではありません。
魂の成長のために必要なことです。
時には苦手なことかもしれません。
時には避けたいことかもしれません。
時には孤独な道かもしれません。
それでも人生は、私たち一人ひとりに固有の学びを与えています。
だから本当の意味での使命探しは、
「何をすれば成功できるか」
ではなく、
「人生は私に何を学ばせようとしているのか」
という問いから始まるのです。
この視点に立つと、過去の出来事の意味も変わって見えてきます。
うまくいかなかったこと。
失敗したこと。
苦しんだこと。
それらは人生の遠回りではなく、ダルマへ向かう過程だったのかもしれません。
私たちはつい、自分の人生を他人と比べてしまいます。
あの人は成功している。
あの人は恵まれている。
あの人には才能がある。
けれどヨガ哲学は、その比較から私たちを解放しようとします。
なぜならダルマは、人それぞれ異なるからです。
他人の人生を生きることはできません。
他人の使命を生きることもできません。
私たちは自分自身のダルマを生きるために、この人生を与えられているのです。
そして、ここからさらに興味深い問いが生まれます。
もし人によって学ぶテーマが異なるのだとしたら、その違いはどこから生まれるのでしょうか。
なぜある人は奉仕を学び、ある人は愛を学び、ある人は境界線を学ぶのでしょうか。
次回は、いよいよこのシリーズの核心である「魂の原型」というテーマに入っていきたいと思います。
RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
