魂の原型と契約シリーズ⑳ 自分の人生を生きるという選択


前回の記事では、

私もまた一人の人間であることを認めるまでの過程についてお話ししました。

 

そして2024年春。

私は完全別居を決断します。

 

その決断をした時、

私は、夫を恨んでもいませんでした。

憎んでもいませんでした。

 

愛がなくなったわけでもありませんでした。

 

むしろ逆でした。

 

長い年月を通して、

私は彼に感謝していました。

 

彼との結婚生活がなければ、

私は深く人生について理解することは難しかったでしょう。

 

愛について。

許しについて。

慈悲について。

病について。

死について。

信頼について。

 

自己犠牲と自己献身の違いについて。

 

無条件の愛について。

 

彼は人生そのものを通して、

私に数え切れないほどの問いを与えてくれました。

 

そして私自身も、

その問いに向き合い続けてきました。

 

だから私は、

夫を悪者だと思ったことはありません。

 

人生には、

決まった善人と悪人があるわけではありません。

 

ただ、

それぞれが自分自身の課題と向き合っているだけなのです。

 

私には私の課題がありました。

 

そして彼には彼の課題がありました。

 

二人の共通の課題もありました。

 

長い間私は、

夫婦の愛とは、どのようなことがあっても受け入れることだと思っていました。

 

許すことだと思っていました。

 

相手が何をしたか、どうであろうかは本当の問題ではなく、自分の中の愛をどこまで誠実に生きられるかだと思っていました。

 

今もその思いは変わっていません。

 

けれど人生は私に、

もう一つの真実を教えました。

 

それは、

 

自分自身を守ることもまた愛である

 

ということです。

 

私は長い間、

自分より他者を優先して生きてきました。

 

誰かのために。

生徒さんのために。

家族のために。

社会のために。

 

それは私にとって自然なことでした。

 

けれどその結果、

私は自分自身を置き去りにしてきました。

 

自分の身体を。

 

自分の心を。

 

そして私はようやく認めました。

 

例え、人生の伴侶であったとしても、

家族であったとしても、

 

私は誰かの人生を代わりに生きることはできない。

誰かを救うことはできない。

 

変わるかどうかは、
最終的にはその人自身が向き合う課題なのだと。

 

それは、私の中で起きた大きな「解放」でした。

 

人生で初めて、

私は自分自身にも慈悲の目を向けることを許したのです。

 

自分自身にも愛を向けることを許したのです。

 

振り返ると、

2012年に初めてインドへ渡った時の私は、

様々な人生の課題に悩み苦しむ生徒さんのために、ヨガの智慧を深めたいと思っていました。

 

けれど、現地で夫と出逢い、言葉では語り尽くせないほどの結婚生活を経て、

私自身に大きな学びをもたらしたのです。

 

ヨガとは何か。

 

愛とは何か。

幸福とは何か。

成功とは何か。

 

魂とは何か。

 

そして人間とは何か。

 

その答えを、

私は夫との結婚生活やスクールの運営を通して身をもって学び続けていたのです。

 

そして、

2024年春。

 

彼との出逢いから十二年。

私はようやく新しい人生の入り口に立ったのです。

 

もちろん学びは終わりません。

 

人生は続いていきます。

 

新たな出会いもあります。

新たな課題もあります。

新たな喜びもあります。

 

けれど一つだけ確かなことがあります。

 

私はもう、

自己犠牲という古い癖から目を逸らさなくなりました。

 

そしてここから、

このシリーズは新しい章へ入ります。

 

これまで私は、自分自身の人生を振り返りながら歩んできました。

 

次回からは、

 

なぜ人生には繰り返されるテーマがあるのか。

 

なぜ私たちは特定の人と出会うのか。

 

魂の契約とは何か。

 

カルマとは何か。

 

私自身の経験を通して見えてきた「魂の原型」について、少しずつお話ししていきたいと思います。

 

RISHIKESH YOGASHALA

Yoga Wisdom

サティヤプレーマ