魂の原型と契約シリーズ⑲ 私もまた、一人の人間だった


2024年4月。

私は再び、大きな決断の前に立っていました。

 

長い年月をかけて向き合ってきた夫との関係。

 

アルコールの問題。

病気。

余命宣告。

 

幾度となく繰り返された危機。

 

その頃の私は、もう精神論や信念だけでは支えきれないところまで追い詰められていました。

 

アルコールの匂い。

大きな声。

 

その気配を感じるだけで身体が反応するのです。

 

動悸。

息切れ。

全身の震え。

血圧も体温も一気に下がる感覚。

立っていることさえ辛くなる。

 

今振り返れば、それは心だけの問題ではありませんでした。

 

長年にわたり積み重なった恐怖や緊張が、身体そのものに刻み込まれていたのです。

 

私はこれまで、どんなことがあってもクラスでは平然としてきました。

 

苦しい時も。

悲しい時も。

不安な時も。

 

講師として立ち続けてきました。

 

けれど、その頃の私はもう限界でした。

 

ある日ついに、生徒さんたちの前で感情を抑えきれなくなり、号泣してしまったのです。

 

自分でも驚きました。

それほどまでに私は疲れ果てていました。

 

そんな時、長年親しくしているアーユルヴェーダ医師のウーシャ先生が静かに私に言いました。

 

「受容の愛を語るなら、自分自身を見落としてはいけない。」

 

「ヨガの愛を語るなら、自分自身にも向けなさい。」

 

「セーヴァやバクティと、自己犠牲は違います。」

 

「奉仕することと、自分を犠牲にすることは違うのです。」

 

「献身することと、自分を失うことも違います。」

 

「まず必要なのは、セルフケア、セルフラブ、セルフリスペクトです。」

 

その言葉は深く胸に響きました。

 

なぜなら私は、普段生徒さんたちに同じことを伝えていたからです。

 

自分を大切にしてください。

 

自分を愛してください。

 

無理をしないでください。

 

そう伝えながら、

私は自分自身にはできていませんでした。

 

振り返ると私は長い間、

どこまで愛の許容量を広げられるのかを見つめ続けていました。

 

どこまで許せるのか。

どこまで受け入れられるのか。

どこまで信じられるのか。

 

夫との問題を通して、

私はそれを学んでいるのだと思っていました。

 

そして、それもまた真実だったと思います。

 

夫は私に多くのことを教えてくれました。

 

愛とは何か。

許しとは何か。

信頼とは何か。

人生とは何か。

死とは何か。

病とは何か。

 

私はその学びに感謝しています。

 

また同時に、私の中にはもう一つの理解もありました。

 

夫はアルコール問題や余命宣告、病気という出来事を通して、私に問いを投げかけ続けていたのかもしれない。

 

愛する人が死の淵に立たされた時でもなお、私は人生を信頼できるのか。

時空を超えた存在への信頼を貫けるのか。

無条件の愛を体現できるのか。

 

そんな問いを、人生そのものを通して与えてくれていたようにも感じていました。

 

だから私は長い間、

離れることよりも、

向き合うことを選び続けてきたのです。

 

けれど、その一方で私は見落としていたことがありました。

 

それは、

私もまた一人の人間である

という事実です。

 

肉体を持ち、

感情を持ち、

疲れもすれば傷つきもする。

 

どれほど真理を理解しても。

どれほど哲学を学んでも。

どれほど魂の成長を願っても。

 

私は生身の人間でした。

 

そして、その事実をようやく認める時が来たのです。

 

その頃から私は、自分自身の中に流れている深い反応パターンとも向き合うようになりました。

 

なぜ私はここまで自己犠牲を選ぶのだろう。

なぜ私は限界まで耐えようとするのだろう。

なぜ私は自分よりも他者を優先し続けるのだろう。

 

その問いを見つめ続ける中で、

私はサムスカーラ(過去から持ち越した心の癖や潜在印象)とも向き合わざるを得なくなりました。

 

真理のためなら命を削ることも厭わない。

誰かのために自分を差し出してしまう。

自分が倒れるまで耐え続けてしまう。

 

そんな傾向が、自分の人生には繰り返し現れていました。

 

人柱として生きた人生。

魔女として処刑された人生。

巫女や神官として生きた人生。

修行僧やグルとして生きた人生。

 

それらを誰かに証明することはできません。

けれど私自身にとっては、魂の奥深くに流れている記憶でした。

 

そして私は初めて理解し始めました。

 

真理を伝えることもダルマ。

人を支えることもダルマ。

 

けれど、

今世という限りある時間の中で与えられた、この身体と心を大切にすることもまたダルマなのだと。

 

長い間私は、

この道の上で過労でこの世を去るなら、それも本望だと思っていました。

 

誰かの役に立てるなら、自分を後回しにすることが当たり前になっていました。

 

それは物心ついた頃からの生き方でもありました。

 

けれど今は違います。

 

真理を伝え続けるためにも、

まず自分自身を大切にしなければならない。

 

人に誤解されず、

自分の命も守りながら、

それでも真理を伝えていく。

 

それが今世の私に与えられた新しい学びなのだと思うようになったのです。

 

私はようやく、

自分自身にも愛を向けることを学び始めていました。

 

そして、その学びは長い年月続いた一つの物語に、大きな区切りをもたらすことになります。

次回は、完全別居という選択の先に見えてきた新しい人生についてお話ししたいと思います。

 

 

RISHIKESH YOGASHALA

Yoga Wisdom

 

サティヤプレーマ

 


【注釈】

 

※セーヴァ(Seva)
見返りを求めず他者や社会に奉仕すること。ヨガにおいて大切な実践の一つ。

 

※バクティ(Bhakti)
神や真理への献身と信愛。愛を通して自己を超えていくヨガの道。

 

※サムスカーラ(Saṃskāra)
過去の経験や行為によって心に刻まれた潜在的な印象や反応パターン。人生で繰り返される思考や行動の癖として現れることがある。