前回の記事では、
大きな警察沙汰や医療措置入院を経て、
私が初めて
「自分の力ではどうにもならないことがある」
という現実と向き合ったことについてお話ししました。
それでも私は、
すぐに離れることはできませんでした。
愛があったからです。
情があったからです。
そして何より、
私は彼が本来持っている素晴らしさを知っていました。
だからこそ、
最後まで信じたいと思っていました。
けれど、その頃の私は限界を迎えていました。
精神的にも。
肉体的にも。
そして生活そのものも。
私はスタジオを運営しながら、
レッスンを行い、
養成講座を担当し、
生徒さんたちを支えながら、
家庭の問題とも向き合っていました。
当時は気づいていませんでしたが、
常に緊張の中で生きていたのだと思います。
いつ問題が起きるか分からない。
いつ電話が鳴るか分からない。
いつ何かが壊れるか分からない。
そんな日々が続いていました。
そして2017年。
私は大きな決断をします。
彼をインドへ送り、
日本とインドで距離を置くことを決めたのです。
当時の私は、
それを別れだとは思っていませんでした。
見捨てることだとも思っていませんでした。
むしろ逆でした。
私は初めて、
「自分自身を守る」
ということを学び始めていたのです。
それまでの私は、
愛することとは支えることだと思っていました。
信じることだと思っていました。
見捨てないことだと思っていました。
けれど人生は私に、
もう一つの真実を教えようとしていました。
愛することと、
相手の人生を背負うことは違う。
支えることと、
自分自身を犠牲にすることは違う。
許すことと、
すべてを受け入れることは違う。
そのことを少しずつ理解し始めていたのです。
もちろん、その決断は簡単ではありませんでした。
何度も悩みました。
何度も考えました。
けれど最後には、
今は距離を置くことが必要だと感じました。
私自身が壊れてしまう前に。
守るべきものを守るために。
そして彼自身が、
自分の人生と向き合うためにも。
今振り返ると、
あの決断は愛がなくなったからではありませんでした。
むしろ愛があったからこそ、
距離を置く必要があったのだと思います。
そして皮肉なことに、
私は離れることによって初めて、
本当の意味での愛について学び始めることになります。
その後も人生は続いていきます。
夫婦としての縁も、
終わったわけではありませんでした。
そして数年後、
私は再びインドへ通うようになります。
けれど、その頃の私は以前とは違っていました。
人生の大きな試練を通して、
少しずつ変わり始めていたのです。
次回は、距離を置いた後に訪れた静寂の時間と、その中で見えてきた新しい人生についてお話ししたいと思います。
RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
