魂の原型と契約シリーズ⑬ 限界という学び


前回の記事では、何度問題が起きても、私は何度でも彼を迎えに行ったことについてお話ししました。

 

当時の私は、

 

人は変われる。

成長できる。

愛は人を癒すことができる。

 

そう信じていました。

 

そして今も、そのこと自体は間違っていないと思っています。

 

けれど人生には、もう一つの真実があります。

 

それは、

愛があっても、

自分の力だけではどうにもならないことがあるということです。

 

問題は次第に大きくなっていきました。

 

飲酒による破壊行動。

感情の爆発。

周囲との衝突。

 

その影響は家庭の中だけでは収まらなくなっていきます。

 

そしてついに大きな警察沙汰へと発展しました。

 

その時、私が最も苦しかったのは自分自身のことではありませんでした。

子どもたちです。

 

守るべき存在にまで影響が及び始めた時、

私は初めて立ち止まることになります。

 

愛すること。

信じること。

許すこと。

 

それらは大切です。

 

けれど、

守るべきものを守ることもまた愛なのだという現実を突きつけられました。

 

その後、彼は医療措置による入院となります。

 

病院へ搬送されていく姿を見送りながら、

私は足元から崩れ落ちました。

 

それまで私は、

何とかなると思っていました。

 

いや、

何とかしなければならないと思っていたのかもしれません。

 

私が支えれば。

私が愛せば。

私が諦めなければ。

きっと乗り越えられる。

 

そう信じていました。

 

けれど、その時初めて認めざるを得なくなったのです。

 

人生には、

 

自分一人の努力では変えられないことがある。

本人が向き合わなければならない課題がある。

 

そして、

愛する人の人生を代わりに生きることはできない。

 

その事実を。

 

それは敗北感にも似ていました。

無力感にも似ていました。

 

けれど今振り返ると、

その経験は私にとって必要な学びだったと思います。

 

なぜなら私はそれまで、

 

愛することと、

背負うことの違いを理解していなかったからです。

 

支えることと、

相手の人生を代わりに引き受けることの違いを理解していなかったからです。

 

その後も私はすぐに離れるわけではありません。

けれど確実に何かが変わり始めていました。

 

そして2017年。

私は人生の中でも大きな決断の一つをすることになります。

 

それは見捨てることではありませんでした。

 

逃げることでもありませんでした。

 

むしろ初めて、

自分自身を守ることを学ぶ決断でした。

 

次回は、2017年11月、私が彼をインドへ送り、日本とインドで距離を置くことを決断した日についてお話ししたいと思います。

 

 

RISHIKESH YOGASHALA

Yoga Wisdom

サティヤプレーマ