魂の原型と契約シリーズ⑫ 私は何度でも迎えに行った


前回の記事では、夫の飲酒問題を通して「無条件の愛」というテーマと向き合い始めたことについてお話ししました。

 

その後も問題は続きました。

 

良くなったと思えば、また悪化する。

平穏な日々が続いたかと思えば、再び問題が起きる。

 

そんなことの繰り返しでした。

 

時には日本で生活し、

時にはインドへ帰国する。

 

そしてしばらく距離を置く。

ところが時間が経つと、また希望が見えてくるのです。

 

今度こそ大丈夫かもしれない。

今度こそ乗り越えられるかもしれない。

 

そして私は再び彼を迎え入れていました。

 

今振り返ると、不思議に思う方もいるかもしれません。

 

なぜそこまでしたのか。

なぜ離れなかったのか。

なぜ諦めなかったのか。

 

けれど当時の私には、その問い自体がありませんでした。

 

なぜなら私の中では、

 

「人は変われる」

 

という確信があったからです。

 

私は人生の中で何度も立ち上がってきました。

 

うつ病も経験しました。

人生のどん底だと思う時期もありました。

 

けれど人は変わることができる。

成長することができる。

 

だからこそ私は、彼にも同じ可能性を見ていました。

 

そしてもう一つ。

 

私は彼の素晴らしい部分を知っていました。

 

深い智慧。

純粋さ。

優しさ。

人を愛する力。

 

だからこそ、

目の前で起きている問題だけを見て判断することができなかったのです。

 

私には常に、

 

「本来の彼」

 

が見えていました。

 

だから何度でも信じました。

何度でも迎えに行きました。

何度でもやり直そうと思いました。

 

もちろん簡単なことではありませんでした。

 

周囲から理解されないこともありました。

 

反対されることもありました。

 

心配されることもありました。

 

それでも私は、自分の選択を疑いませんでした。

 

なぜなら当時の私は、

愛とは最後まで信じることだと思っていたからです。

 

支えることだと思っていたからです。

 

見捨てないことだと思っていたからです。

 

今振り返ると、その考え方は決して間違いではありません。

 

けれど、それだけでは足りなかったことも後になって学びます。

 

愛すること。

支えること。

信じること。

 

それらと、

相手の人生を背負うことは違う。

 

その違いを私はまだ知りませんでした。

 

当時の私はただ、

目の前の人を救いたいと思っていました。

 

そしてその思いは純粋でした。

だからこそ気づけなかったこともあったのです。

 

人生は時に、

美しい動機の中にも学びを隠しています。

 

私がそのことを本当の意味で理解するのは、まだ少し先のことでした。

 

次回は、私が初めて「自分の力ではどうにもならないことがある」と認めざるを得なくなった出来事についてお話ししたいと思います。

 

 

RISHIKESH YOGASHALA

Yoga Wisdom

サティヤプレーマ