魂の原型と契約シリーズ⑪ 許せないものを許せるのか


前回の記事では、結婚生活が始まって間もなく、夫の飲酒問題と向き合うことになったことについてお話ししました。

 

家の中で物が壊れる。

壁に穴が空く。

怒りが爆発する。

 

そして私は、自分でも驚くほどの怒りを感じていました。

 

多くの方は思うかもしれません。

 

「なぜ離婚しなかったのですか?」

 

と。

 

実際、そう言われることも少なくありませんでした。

 

けれど当時の私は、そうは考えていませんでした。

 

もちろん苦しくなかったわけではありません。

 

怒りもありました。

悲しみもありました。

失望もありました。

 

それでも私は、この出来事を単なる夫婦問題として見ていなかったのです。

 

私にとって人生で起きる出来事には意味があります。

 

楽しいことにも。

苦しいことにも。

 

そして、どうしても受け入れ難いことにも。

 

私は考えていました。

なぜ人生は再び私の前に、お酒というテーマを差し出したのだろう。

 

なぜ私はこれほど強く反応するのだろう。

これは何を学ぶために起きているのだろう。

 

夫婦間の問題は常にお酒と共にありました。

 

けれど私は、彼を憎んではいませんでした。

恨んでもいませんでした。

 

むしろ私は、

 

「彼は私の魂の成長を助ける役割を担っているのではないか」

 

と考えていました。

 

もちろん当時の私は、

魂の契約という言葉を今ほど深く理解していたわけではありません。

 

けれど直感的に感じていたのです。

 

人生には、自分にとって最も受け入れ難いものを通して学ぶ時があるのだと。

 

私にとって、夫のお酒による破壊行動はまさにそうでした。

 

最も嫌悪するもの。

最も受け入れ難いもの。

最も避けたいもの。

 

それを前にした時、

 

私はなお愛でいられるのだろうか。

 

私はなお許すことができるのだろうか。

 

私はなお成長を選ぶことができるのだろうか。

 

私はそう考えていました。

 

だから逃げようとは思いませんでした。

離婚も考えませんでした。

 

むしろ、

 

「これは私に与えられた学びなのだ」

 

と思っていたのです。

 

今振り返ると、その考え方には光もあれば影もあったと思います。

 

けれど当時の私は、本気でそう信じていました。

 

そしてその信念があったからこそ、その後何年にもわたる試練の中を歩み続けることになるのです。

けれど人生は、やがて私にもう一つの大切な学びを教えることになります。

 

愛することと、

境界線を持つことは、

別のことであるという学びです。

 

そのことを理解するのは、まだ少し先のことでした。

 

次回は、何度も繰り返された別れと再会、そして私が「救うこと」と「支えること」の違いについて考え始めた日々についてお話ししたいと思います。

 

 

RISHIKESH YOGASHALA

Yoga Wisdom

サティヤプレーマ