魂の原型と契約シリーズ② 答えを求めて歩いた長い探究の旅


前回の記事では、幼い頃から私の中にあった「愛に誠実に生きたい」という願いについてお話ししました。

 

しかし、その願いを胸に生きる中で、私の中には消えることのない問いがありました。

 

人とは何なのだろう。

人生とは何なのだろう。

なぜ人は出会い、別れていくのだろう。

なぜ苦しみがあるのだろう。

 

そして、この世界で生きることにはどんな意味があるのだろう。

 

私はその答えを知りたいと思っていました。

 

そんな私が長年続けていたことがあります。

 

日記を書くことです。

 

きっかけは、小学校一年生の時の担任の先生との交換日記でした。

その日の出来事や感じたことを書いて提出すると、先生が返事を書いて返してくれる。

そんな宿題でした。

 

私はその交換日記が好きでした。

自分の気持ちを言葉にすることが好きだったのです。

 

やがて担任の先生が変わり、交換日記の宿題はなくなりました。

けれど私は書くことをやめませんでした。

 

誰かに読んでもらうためではありません。

自分自身と対話するためです。

 

嬉しかったこと。

悲しかったこと。

傷ついたこと。

理解できなかったこと。

 

なぜこんなことが起きたのだろうと思ったこと。

 

私は子どもの頃から、それらをノートに書き続けていました。

 

今振り返ると、それは魂と人生との対話だったのだと思います。

 

学校生活の中では、周囲との違いに戸惑うこともありました。

いじめに遭い、学校へ行けなくなった時期もありました。

けれど私は、人を恨みたいとは思いませんでした。

 

なぜ人はそんな行動を選ぶのだろう。

なぜ人は相手を傷つけてしまうのだろう。

 

本当は誰もが愛を求めているはずなのに。

本当は誰もが幸せになりたいはずなのに。

 

なぜ人は相手を傷つけたり、利用したりしてしまうのだろう。

 

それが私には理解できませんでした。

 

私は人を変えたかったのではありません。

 

世界を変えたかったのでもありません。

 

私が知りたかったのは、人や人生、この世界で生きることの意味でした。

 

そして何より、

 

この混沌とした世界の中で、私はどこまで愛に誠実でいられるのだろう。

どこまで恐れではなく愛を選べるのだろう。

どこまで成長できるのだろう。

 

そのことに強い関心がありました。

 

だから私は本を読みました。

 

哲学。

心理学。

宗教。

精神世界。

東洋思想。

西洋思想。

 

古本屋へ通い、図書館へ通い、興味を持った本を探しては読み続けました。

当時は今のようにインターネットで手軽に情報を得られる時代ではありません。

 

本が先生であり、人生の案内人でした。

 

多くの思想に触れました。

多くの学びを得ました。

 

そして興味深かったのは、それぞれの教えは表現こそ違うものの、その奥には共通する何かがあるように感じられたことです。

 

宗教が違っても。

哲学が違っても。

思想が違っても。

文化が違っても。

 

その根底には、人を愛しなさいという教えがありました。

他者を尊重しなさいという教えがありました。

より良く生きなさいという願いがありました。

 

私は次第に、人類が生み出してきたさまざまな宗教や思想の奥には、共通する普遍的な真理があるのではないかと感じるようになっていました。

 

ヨガにはそれを表す言葉が無数にあります。

より現代的に言うならば、それをワンネスという言葉で表現できるかもしれません。

 

けれど当時は、まだその全体像が見えていたわけではありません。

 

私はただ、その真理をもっと深く理解したいと思っていました。

 

知識は増えていく。

けれど問いは消えない。

むしろ新しい問いが生まれてくる。

 

そんなことの繰り返しでした。

 

それでも私は探究をやめませんでした。

 

なぜなら私の中には、幼い頃から変わらない感覚があったからです。

 

人生は偶然ではない。

出会いにも意味がある。

別れにも意味がある。

喜びにも意味がある。

苦しみにも意味がある。

 

今は理解できなくても、そこには必ず何か大切な意味がある。

 

私はそう信じていました。

 

やがて社会人となり、仕事をし、家庭を持ち、人生経験を重ねていきました。

 

そして長年の過労やさまざまな出来事が重なり、三十代半ばで心と身体のバランスを大きく崩しました。

うつ病でした。

それは人生で初めて、大きく立ち止まらざるを得ない経験でした。

 

けれど、その出来事もまた人生の大切な転機であり、必然だったです。

なぜなら、その経験がなければ私はヨガと出会わなかったからです。

 

そしてヨガの思想哲学の教えと出会った時、霧が晴れて行くようにすべてが腑に落ちました。

それは新しい宗教や思想との出会いではありませんでした。

 

むしろ、それまで人生を通して探し続けてきたものが、一つの大きな地図として目の前に現れたような感覚でした。

 

幼い頃から抱き続けてきた問い。

人生を通して探し続けてきた意味。

 

その答え合わせが、ようやく始まろうとしていました。 

 

次回は、人生を大きく変えたヨガとの出会いについてお話ししたいと思います。

 

 

RISHIKESH YOGASHALA

Yoga Wisdom

サティヤプレーマ