魂の原型と契約シリーズ① 愛に誠実に生きたい


子どもの頃から、私にはひとつの願いがありました。

 

愛に正直に生きること。

誠実であること。

 

それは誰かに教えられたものではありません。

親から言われたわけでもなく、学校で学んだわけでもありません。

 

ただ、それが私にとって最も自然な在り方でした。

 

だから私は、人を傷つけることが苦手でした。

誰かが悲しむ姿を見るのも苦手でした。

 

できることなら、みんなが幸せでいてほしい。

みんなが笑顔でいてほしい。

 

そんなことを本気で願っている子どもでした。

 

しかし成長するにつれ、私は大きな違和感を抱くようになります。

 

なぜ人は人を傷つけるのだろう。

なぜ争うのだろう。

なぜ嘘をつくのだろう。

なぜ利用しようとするのだろう。

 

本当は誰もが幸せになりたいはずなのに。

本当は誰もが愛を求めているはずなのに。

 

なぜそんな行動を選んでしまうのだろう。

 

それが私には理解できませんでした。

 

家族の中でも。

学校でも。

友人関係の中でも。

 

私はいつも、その問いを抱えていました。

 

そしてもう一つ、不思議な感覚がありました。

 

私は人を観察していたわけではありません。

むしろ、自分自身も含めた人間たちの姿を、どこか少し離れた場所から見ているような感覚でした。

 

父の気持ち。

母の気持ち。

兄や妹の気持ち。

学校の先生の気持ち。

友達の気持ち。

 

本人さえ気づいていないような悲しみや寂しさまで、なぜか伝わってくるのです。

 

だから私は、人を嫌いになれませんでした。

怒りの奥にある悲しみが見えてしまうからです。

 

けれど同時に、とても傷つきやすくもありました。

 

人の何気ない一言。

ふとした表情。

目線。

態度。

 

その奥にある感情まで感じてしまう。

 

そして部屋に閉じこもり、一人で泣くことも少なくありませんでした。

 

食事が喉を通らなくなることもありました。

 

身体も弱く、精神的にも繊細でした。

 

学校では、先生から好かれることもあれば、扱いづらい子どもとして距離を置かれることもありました。

 

家族や親戚の中でも、少し変わった子として見られていたように思います。

 

けれど私は、人を変えたいと思ったことはありませんでした。

世界を変えたいと思ったこともありませんでした。

 

もちろん、人々が幸せであってほしいという願いはありました。

 

しかし私の関心は、いつも自分自身に向いていました。

 

この混沌とした世界の中で、

私はどこまで愛に正直でいられるだろう。

 

どこまで誠実でいられるだろう。

 

どこまで恐れではなく愛を選択できるだろう。

 

どこまで成長できるだろう。

 

極端に言えば、私の関心はただその一点にありました。

 

だから私は問い続けたのです。

 

なぜこの出来事は起きたのか。

なぜこの人と出会ったのか。

 

この経験は私に何を教えようとしているのか。

 

私は人を裁きたかったのではありません。

 

人生を理解したかったのです。

人を理解したかったのです。

 

そして、この世界で生きることの意味を理解したかったのです。

 

振り返れば、それが私の探究の始まりでした。

 

そしてその問いが、後にヨガ哲学との出会いへと繋がっていくことになります。

 

 

RISHIKESH YOGASHALA

Yoga Wisdom

サティヤプレーマ