人生には、
どうしても終わりを認められない時があります。
もう苦しいのに。
もう限界なのに。
本当は、
続けることの方が辛くなっているのに。
それでも私たちは、
「ここで終わったら、自分が壊れてしまう」
そんな感覚から、
何かを握り続けてしまうことがあります。
人間関係。
役割。
仕事。
理想の自分。
あるいは、
“こうあるべきだった人生”。
けれど、
人生には、
役目を終えるものがあります。
そして、
終わりを迎えたものを、
無理に維持し続けると、
心も身体も、
少しずつ疲弊していきます。
ヨガ哲学では、
苦しみの原因の一つとして
「執着」が語られています。
執着とは、
何かを大切に思うことではありません。
変化している現実を受け入れられず、
“過去の形”
にしがみつき続けることです。
本来、
人生は流れています。
川のように。
季節のように。
身体も、
心も、
関係も、
常に変化しています。
それなのに私たちは、
同じ形を保とうとします。
なぜなら、
変化には不安が伴うからです。
終わったあとに、
何が待っているのか分からない。
次の自分が見えない。
空白が怖い。
だから、
もう苦しくなっているものさえ、
離せなくなることがあります。
けれど、
本当の回復は、
何かを“足すこと”
ではなく、
抱え続けていたものを、
静かに降ろした時に始まることがあります。
無理をやめた時。
戦うことをやめた時。
説明し続けることをやめた時。
「こうあるべき」を少し手放せた時。
心と身体は、
ようやく安全を感じ始めます。
実際、
本当に疲れている人ほど、
休むことよりも、
“手放すこと”
の方が難しいことがあります。
頑張る方が慣れているからです。
耐える方が、
安心だからです。
けれど、
ヨガの深い呼吸も同じです。
力んでいる時には、
呼吸は深く入りません。
余分な力が抜けた時、
自然に呼吸が戻ってきます。
人生も、
それと少し似ています。
回復とは、
以前の自分に戻ることではありません。
もっと頑張れる自分になることでもありません。
今の自分に、
無理なく還っていけること。
静かに呼吸ができること。
安心して眠れること。
「これでいい」と、
少し思えること。
それが、
本当の意味での回復なのかもしれません。
そして人生には、
何かを失ったあとにしか始まらない、
静かな再生があります。
RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom
サティヤプレーマ
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