ヨガ哲学と見えない世界② 私は誰か ― アートマンと真の自己の探究 ―


私たちは何を「自分」と呼んでいるのか

 

もし誰かに、

 

「あなたは誰ですか?」

 

と尋ねられたら、どのように答えるでしょうか。

 

私は教師です。

私は看護師です。

私は会社員です。

私は母です。

私はヨガ講師です。

 

あるいは、

 

私は優しい人間です。

私は内向的です。

私は努力家です。

 

そんなふうに答えるかもしれません。

 

しかし少し立ち止まって考えてみると、それらは本当に「私そのもの」なのでしょうか。

 

職業は変わります。

年齢も変わります。

 

性格さえ人生経験によって変化していきます。

 

それでも私たちは、

どこかで変わらない「私」という感覚を持っています。

 

ヨガ哲学は、その感覚の正体を探究してきました。

 


役割と本当の自己

 

人生の転機において、人はしばしば深い喪失感を経験します。

 

仕事を辞めた時。

子どもが独立した時。

離婚した時。

定年を迎えた時。

愛する人を失った時。

 

なぜそれほど苦しいのでしょうか。

 

もちろん現実的な問題もあります。

 

しかしヨガ哲学は、

私たちが役割を自分自身だと思い込んでいることも苦しみの一因だと考えます。

 

「仕事を失った私は価値がない。」

 

「母親という役割が終わった私は何者なのか。」

 

そんな苦しみは、

役割と自己を同一視しているところから生まれることがあります。

 


身体は私なのか

 

古代インドの賢者たちは、まず身体に注目しました。

私たちの身体は生涯を通じて変化し続けます。

 

赤ちゃんの身体。

子どもの身体。

青年期の身体。

中年期の身体。

老年期の身体。

 

数十年前の身体と今の身体はまったく違います。

細胞も絶えず生まれ変わっています。

 

それでも私たちは、

 

「私は私だ」

 

と感じています。

 

もし身体そのものが私なら、

身体が変わるたびに別人になってしまうはずです。

 

ウパニシャッドはここに大きな問いを見出しました。

 


心は私なのか

 

では心はどうでしょうか。

 

感情も変わります。

考え方も変わります。

価値観も変わります。

 

若い頃に信じていたことを、今は信じていないかもしれません。

 

昨日悲しかったことが、

今日はそれほど気にならないかもしれません。

 

つまり心もまた絶えず変化しています。

 

身体も変わる。

心も変わる。

 

では、

変化していることを知っている存在は誰なのでしょうか。

 


観察者という存在

 

怒りを感じている時、

私たちは

「私は怒っている」

と認識しています。

 

悲しみを感じている時も、

「私は悲しい」

と気づいています。

 

つまり感情そのものとは別に、

感情を見つめている存在がいるのです。

 

思考も同じです。

 

考えが浮かび、

消えていくことを私たちは知っています。

 

その思考を観察している存在がいます。

 

ヨガ哲学は、この存在を非常に重要視しました。

 

なぜなら、

その観察者こそが真の自己への入り口だからです。

 


アートマンとは何か

 

ヴェーダーンタ哲学では、

この変わらない本質を

「アートマン(Ātman)」

と呼びます。

 

アートマンは、

 

身体ではありません。

感情でもありません。

思考でもありません。

役割でもありません。

 

社会的な成功や失敗によって変わるものでもありません。

 

それは、

すべての経験を見つめている純粋な意識の中心です。

 

古代インドの賢者たちは、

人生の目的はこのアートマンを知ることにあると考えました。

 


ウパニシャッドの問い

 

ウパニシャッドには、

繰り返し登場する問いがあります。

 

「私は誰か。」

「この世界の本質とは何か。」

「死んだ後も残るものは何か。」

 

これらは単なる哲学的な遊びではありません。

人生をどう生きるかという実践的な問いでもあります。

 

なぜなら、

自分を身体や肩書きだけだと思えば、

それを失うことが人生最大の恐怖になるからです。

 

しかし本質がそれ以上のものであるなら、

人生の見え方は大きく変わります。

 


現代人にとっての自己探究

 

現代社会では、

私たちは常に何者かになろうとします。

 

もっと成功したい。

もっと認められたい。

もっと豊かになりたい。

 

もちろん、それ自体は悪いことではありません。

 

しかし同時に、

「私は誰か」

という根本的な問いを忘れがちです。

 

ヨガ哲学は、

外側の成功を否定するのではなく、

その土台となる自己理解を大切にします。

 

本当の自己を知らなければ、

どれだけ多くのものを手に入れても満たされないことがあるからです。

 


まとめ

 

ヨガ哲学は、

新しい自分になるための教えではありません。

 

本来の自分を思い出すための智慧です。

 

身体は変化します。

感情も変化します。

役割も変化します。

 

人生そのものも変化し続けます。

 

しかしその奥には、

変わらずにすべてを見つめている意識があります。

 

古代インドの賢者たちは、

その存在をアートマンと呼びました。

 

自己探究の旅とは、

遠くへ何かを探しに行く旅ではありません。

自分自身の奥深くへ還っていく旅なのです。

 

 

RISHIKESH YOGASHALA
Yoga Wisdom

サティヤプレーマ