MARRIE'S ブログ    


ご無沙汰しております!

回のブロク更新から、何と、気が付けば、もう半年以上が経ってしまいました(^^;)

この半年、実はとっても波乱万丈(?)だったんです。

 

まず、2月初めに、”突発性難聴”を発症し、2週間の休職と入院治療に関わらず、右耳の聴力をほぼ失ってしまいました。

その後、4月のインド研修から帰国後、7度目の渡印にして初めて、ウィルス性急性胃腸炎を発症し、1週間ほど寝込み、4月開講予定だった第6期ヨガ指導者養成コースの開講を遅らせる事態となりました。

 

その後、すぐ発覚したのが、二人目の夫との間に、何と40半ば過ぎての第三子妊娠!

思った以上のつわりの症状に悩まれながらも、養成コースはお休みすることなく続けておりましたが、GW中に残念ながら、初期流産してしまいました。

流産してすぐに、インド人夫の来日手続きのために再渡印し、またもや、二度目の妊娠。

前回の妊娠では、養成生や周りの講師の皆様へ、カミングアウトしていましたが、周りが気を遣い過ぎるといけないので、この時は伏せておきました。

ですが、こちらも残念ながら、3ヶ月に入る手前で自然流産してしまいました。

40半ば過ぎの妊娠自体が奇跡的であり、出産までこぎつけられる確率は20%ほどと医師から宣告されていたとはいえ、二度目の流産はさすがに、少し堪えました。

 

右耳は、突発性難聴を発症当時、iPodのイヤホンの音量を最大にしても、聴こえないレベルでしたが、今は多少聞こえるようになったので、回復の見込みはないと退院時に診断されていましたが、やはり”可能性“なるものを信じています。

 

今年はこのように、思いがけない試練が立て続けに起きましたが、ヨガのおかげで、深く落ち込んだり、ひきずったりすることはなく、すぐに気持ちを切り替えることができました。

 

結局すべては、自分を成長させてくれる、かけがえのない学びと経験でしかないのです。

 

入院生活では、普段はお会いすることがなかった、末期がん患者の皆様や重大事故に遭い、生死の境をさまよった方などと交友を深めることができ、今後のNPO事業に向けて、いくつも大きなヒントや気づきを与えてくれました。

 

普段、当たり前だと思っていたことにも、改めて感謝の気持ちを持つことができました。

耳が聞こえる、目が見える、香りがわかる、味がわかる、感触がわかる・・・これら、五感でさえ、決して当たり前のものはなく、全ては奇跡であり、かけがえのない、授かりものなのですネ。

”ヨガは五感をコントロールすること”と聖典で言われていますが、人間としてこの世に誕生し、制御する対象である五感があること自体が、本当はかけがえの無いことなのです。

 

呼吸ができる、五体満足である、夜眠ることができる、食事が頂ける・・・・、これらも何一つ当たり前のものなんてない。

 

今ここに肉体を持ち、存在していること自体が、素晴らしいことなのです。

 

心配してくれる家族がいる、友人がいる。

・・・病院では、身寄りがなく、余命宣告を受け、日々涙に暮れている方もいらっしゃいました。

 

私は片耳が聞こえなくなっても、コミュニケーションが取れなくなったわけではない。

自由に動くこともできる。

病院ではご縁があった入院患者の皆様へ少しだけ、ヨガをお伝えすることができ、”体が軽くなった”、”良く眠れるようになった”、”気持ちが明るくなった”など、喜んで頂くことができました。
末期ガンで、すでに治療法がなく、退院後に戻ってくることもないと涙されていた女性は、ヨガの考え方を入院生活の中で、少しずつお話したところ、「”今をどう生きるか”ということこそが大切であったのだと気づくことができました。退院後は、長年休んでいた趣味の社交ダンスを再開します!”」と、笑顔で病院を後にされました。

普段の生活では、ヨガ教室に通える健康な状態にある方としか、なかなか、接点はありませんでしたが、この経験は私の今後の人生にとって、大きな道しるべとなりました。

 

自分自身の二度の流産も、全くショックでなかったといえば、嘘になりますが、束の間だったとしても、”新たな命を育む喜び”を私にもたらし、世界をより一層輝かせてくれました。

 

このような状況の中ではありましたが、この半年の間に、全米ヨガアライアンス認定、NPO法人設立、夫の来日問題に関する膨大な資料作りに取り組み、アライアンスは7月に無事認可が下り、NPOは11月に内閣府より、許認可を受ける運びとなりました。

夫と出逢ってから間もなく3年。一緒に暮らせる日を待ちわびてきましたが、夫の在留許可も、間もなく法務省から発行されることでしょう。

 

3年半前に、秘書業を退き、それまで4年半兼業で続けていたインストラクター業をライフワークとし、独立開業をしてから、みなみ野サロンの運営、町田校の運営、養成コースの運営に心血を注いできました。

平均睡眠時間3~4時間、週7日労働の日々。

自分自身は好きなことやインスピレーションに従って、無我夢中で没頭してきただけなので、辛いと感じたことはありませんでしたが、そんな働き方も改める時期だったのかもしれません。

すべてはなるべくして、なっているのだと思います。

 

今春からは、町田校とみなみ野サロンに、養成コース卒業生の中からMIYAKO先生とCHIEMI先生にマネージャーとしてそれぞれ、フルタイムで勤務して頂き、公私ともに大きなサポートを頂き、心より感謝しております。

 

第7期ヨガTTCも開講まで、あと1週間となりました。

9月、10月と二ヶ月間、第6期とのダブル進行になり、また少し多忙になりそうではありますが、受講生の皆様からたくさんのエネルギーを頂き、一瞬一瞬を大切に生きていきたいと思っています。

 

目の前の人の笑顔はエネルギー源。

その方の幸福は私自身の喜びと”人生の意味”です。

久しぶりのブログUPです!

みなさん、こんにちは!

あっという間に、1月も早終わろうとしています。

ブログをUPしよう、しようと思いつつ、瞬く間に日が過ぎてしまいました。

町田校はオープンして、特に宣伝活動もせず、冬季に入ってしまったので、時々、お客様から”予約不要とのことですが、いっぱいで入れないことはありますか?”とお問合せ頂きますが、今は、そのような心配は全くありません!!(笑)

・・・って、威張って言うことではありませんね(;´∀`)

 

スクールは看板もついてないので、入りづらいのもあるだろうし、まだまだ、地元の方々にも全然、存在を知られていませんが、今度、JR町田駅ターミナルプラザで、市民の皆様へ向けた無料参加型のイベントをやることになりました!!

是非、人類数千年の素晴らしいヨガの知恵に触れるきっかけを、地元の皆さまへ提供したいと思います。

スクールのコンセプトは、インドの社会福祉施設である”アシュラム”なので、ゆくゆくは、そんな地元密着の社会貢献型の場所へと変えて行きたいです。

 

その手始めとして、今夏に、NPO法人を設立することにしました!!
考案している事業内容は、ヨガの教えをベースにした社会教育の推進、福祉の増進、子供の健全育成を図る運動、職業能力の開発、自己実現、雇用機会の充実、起業支援、人権擁護&平和増進、地球環境の保護、インド・日本両国間の伝統文化・芸術の振興、災害地への援助、国際協力などです。

今年4月開講の来期養成コースは、開始3ヶ月前の現時点で、すでに定員20名が埋まりつつある勢いですが、当校の理念に賛同して

くれた受講生の皆様がまず、半年間のヨガの学びを通じて、さらにご自分の人生を輝かせていけるよう、全力でサポートしていきたいと思っています。そして、それぞれの個性を生かした活動を行って頂き、仲間同士で繋がり、世の中の人にもっと、素晴らしいヨガの知恵に触れられる機会を広めていって頂きたいと願っています。

 

私自身は、HPにも記載のとおり、今年の晩秋から、来年早春まで、インドに長期滞在を予定していますが、これは、自分自身の自己

研鑽と、そして、インド現地でのアシュラム建設の下準備のためです。

インドに学びに行きたくても、ご家庭やお仕事の状況で、実際なかなか行けない、指導者の皆様もたくさん、いらっしゃいます。

だから、皆様の代わりに私がもっと、自分を高め、そして、それを皆さんに還元したいと考えています。

 

来年春以降は、地方での養成コース開催をスタートさせようと思っていますが、これも、そこで教室を開設しては、卒業生を配置し、

賛同してくれる皆さんの輪を広げていくのが目的です。

皆さんから、お預かりする受講料は、養成期間の教室運営のために活用し、そして、卒業後は一般スクールとしてオープンさせ、

是非すぐにキャリアをスタートして、地元の皆さんに、還元していって頂きたいと思っています。

このような調子で、全国に少しずつ、活動を広げたいと思っていますが、この行き着く先もまた、誰もが晩年、もし何が起きても、

安心して暮らして行けるような、ヨガのケアハウス+児童養護施設?(日本版アシュラム)を作ることです。

もし、万が一、伴侶に先立たれても、血縁を超えて繋がった、心の友、魂の友たちに囲まれながら、この世を去ることができるのなら、

人はもっと安心して、その最期の瞬間まで人生を生き生きと、生きることができるのではないでしょうか。

そこにヨガがあれば、心身の健康はもちろんのこと、ヨガの親戚=人類最古の自然医学、アーユルヴェーダを基盤とした食や医療のバックアップもあります。

人はどの時代もどの地域も人種も、誰でも、幸福、平和、愛を求めて生きている。

ブッダや古代のヨガの聖者達のように悟りを得られたらいいけど、そう簡単にはいかないからこそ、将来の不安を取り除くことができたら、純真無垢だった子供の頃のように、もっと生き生きと明るく毎日を過ごせるのではないでしょうか。


実際、ヨガの教えはすべてそれを叶えてくれる。

肉体的な健康も、心の健康も眠っていた可能性を引き出し、人生における深い気づきを与え、生きる意味や人生の意味に気づく

きっかけを与えてくれる。
人は希望を失うから、心が病み、心が不安定になるから、体も不調が出る。どんな体の病気も本当は、先に心の状態、もっといえば、

エネルギーレベルでの不調から始まっているはず。
瞑想、アーサナ、呼吸法だけでも、大きな効果が得られますが、ヨガの思想=生きるための指針、哲学の学びは、人生の様々な困難や局面に対峙したときの知恵を授け、大きな心の支え、転ばぬ先の杖になることでしょう。

核家族が当たり前になって、経済情勢も依然不透明な日本、誰がバラ色の晩年を思い描けるでしょうか。

でも、本当は人はもっと、安心して、シンプルに生きられるのです。

そして、私たちは、誰しも、本当は経済的な豊かさに、自分の幸福を左右されることもなく、自分の掛け替えのない命と人生を、

最期の瞬間まで輝かせることができるのです。


今年は、NPO法人設立やヨガアライアンス認定校の準備、深刻な貧困や失業に悩むインド側への教育や雇用機会の支援など、

様々なことを行動に移していくつもりですが、私は将棋の駒と同じで、ただ、内側から湧いてくるインスピレーション、宇宙からの

メッセージに従うだけ。そして、結果を恐れることなく、今すべきこと、その行いに全身全霊でぶつかるだけ。

ときに、一見、困難に見舞われることもあるでしょうが、それは、ガンジス河の悠久な流れと同様に、自然の流れに身を委ねるだけです。

大小の岩にぶつかって、行き先を塞がれ、違う流れに逸れてしまうこともあるかもしれませんが、最終的にはどこ通っても、大海原へと行き着きます。

人生の各場面は河岸の移りゆく景色と同じ。

どんな人生のステージも、変わりゆく街の景色を静観するのと同じ心境で、自分を見失わず、眺めていきたいものです。

片方の岸は、快楽。もう片方の岸は苦痛。詰まるところ、人はこの二つの間で感情を取り乱し、心が揺れ動く。

それを判断しているのは、私たちのエゴ。人は誰しも希望を描き、それが叶わなかったとき=エゴが快楽に満たされなかったとき、

人は苦痛を味わう。

でも、快楽に執着しすぎると中毒になり、必ず落とし穴が待っているし、苦痛に囚われすぎると、生きる喜びと楽しみを奪ってしまう。

一番いいのは、どちらの岸にも近すぎて、乗り上げないように、真ん中を通ること。すべてはバランス。中庸だ。


人は、本当に自分のやりたいこと、生きがい、生きる目的を見出し、そして、それを実行に移したとき、または、取り敢えずやってみる、

という行動を重ねる中で、気づきを得たとき、人生が変わり始めます。

本当の自分の人生を歩み始めるのです。

ここでは、思いのほか、物事の流れが変わり、人生が加速化して、物事が願い通りに進むようになることでしょう。

人間として生まれた限り、問題や困難が起きてくるのは当然。それを感じるのは知覚器官と自身の心のメガネ。

でも、一見辛いと思えることも、自分を成長させてくれる貴重な学びの機会だと捉えることで、それは、もう、困難ではなくなり、

感謝の念さえ湧いてくるようになるかもしれません。

 

瞑想で悟りを得ようとしてもなかなか、難しかったからこそ、古代の聖者達は体を使ったアーサナ(ポーズ、瞑想のための座法)を

生み出した。

人生も同じ。迷ったときは、頭で悩むより、体を使って行動を起こすこと。

小さな一歩が変化をおこし、その新たな体験を通じて、初めて私たちは真に学ぶことができるのです。

視野を広げ、理解力を磨き、世の中を違った目で見られるようになるのです。


ヨガの思想のもととなったヴェーダ哲学では、この世はすべて”永遠に不変なる一つのもの”の投影でしかないと教えています。

物質宇宙は精神宇宙のエネルギー(意思)の投影です。

今の地球環境は、私たち人間の積み重ねてきた過去の記憶と意思の投影です。

全人類がもし、真の自分の人生の目的を見出すことができたら、そして、それぞれが自分だけの役割を果たしたら、そこには調和が

生まれ、地球自身も生まれながらの青く美しい姿を取り戻すことでしょう。

 

大切なことは、思考というエゴに縛られるのではなく、自分の内側から湧いてくるワクワク感を信じるということ。

心からやってみたいということ、好きなことにこそ、ヒントがあるのです。

”自分を信じる”ということは、”自分の能力に100%自信を持つ”ということではなく、”心の声を信頼する”ということだ。

そして、自分の意思さえ明確にすれば、自ずと人生は開かれていくのです。

それが、利己的な望みではなく、他者、全人類、ひいてはすべての生きとし生けるものへの幸福に繋がるものであれば、尚の事。

 

長くなりましたが、私も常に、理論、行動、瞑想とバランスを取りながら、自分の意思を明確にしていきます。
一回限りのこの人生をどう生きるかはすべて、自分次第。

経済的な豊かさには魅力を感じない。

目の前の人の幸せが私の生きがいであり、笑顔がエネルギー源だ。

キリン?ろくろっ首?

人の頚椎、首の骨は通常7つ。胸椎12個、腰椎5個、仙骨、尾骨は進化の過程で繋がり、1個ずつ。

でも、私は首の骨が生まれつき、9つもある!

その分、胸椎と腰椎17個のところ、15個しかない。

おまけに、脊柱側わん症(背骨が横に歪んでしまう疾患)で、首や腰にはヘルニア予備軍の椎間板3つずつ。

こんなハンデだらけだど、人間ってすごい。ヨガはすごい。

エアロビクスからヨガに転向したところ、腰痛がひどく、コブラのポーズに代表されるような、反り系(後屈系)のポーズはぜ~んぶ、NG。

頭だちのポーズ(三点倒立、シルシャアーサナ)では、何度もヘルニアの症状が悪化して、首が動かなくなり、医者には、”自殺行為。インストラクターとして食べていきたいなら、絶対に辞めなさい”と宣告された。


でも、でも・・・・!

人間、諦めなければ、必ず、変われるんです。

持って生まれた力が、潜在能力が誰でも備わっているんです。

どんなマイナスからの出発でも、諦めさえしなければ、必ず、向上・前進するんです!!

背骨の数が少ない分、アイススケーターやバレリーナのような美しい反りまではいけなくても、胸や喉元、身体の前面が、少しでも

開くようになると、なんと、気持ちまで広く、明るくなることでしょうか!・・・・ポジティブになれることでしょうか!


30代半ばで、うつ病を発症し、完全に克服するのに、4,5年掛かりましが、ヨガやフィットネスを通じ、姿勢が良くなったり、体力がついたり、柔軟性や筋力がついたことは、間違いなく、精神的にもよい影響をもたらし、そして、私の生き方そのものを変えていきました。

長年の猫背が解消し、胸が開けば、心は明るくなるし、体力がつけば、試練や逆境に強くなり、少々落ち込んでも復活も早い。

柔軟性はそのまま、主観にとらわれず、物事の捉え方を柔軟にし、筋力がついて、体幹=軸が整うと、信念を貫き、ぶれない生き方へとつながっていくのです。


弱くて不安定な心を、意思だけでコントロールするのは難しく、瞑想ばかりしていても、幸せにはなれないと、古代のヨガの修行者たちは長い瞑想経験の中で、気がつきました。

だから、強い心身を養うために、たくさんのポーズを編み出してきました。

本能に生きている動物たちのほうが、煩悩だらけの人間より幸せそうだな~と動物を真似たポーズをつくり、自然の美しさと自然のもたらすパワー・エネルギーに畏敬の念をもち、感嘆しては、自然界をちなんだポーズもたくさん、つくりました。

ポーズ自体は、伝統的なヨガの思想では、大きく分けると、①心と身体をリラックスするためのもの ②瞑想のための座法  ③心身鍛錬の修行的なものと3つに分かれるのですが、これらはすべて、私たちの人生や日々の生活につながります。


人生も山あり、谷あり。休む時もあれば、頑張るときもある。愛するひとと寄り添い、幸福に満ちた平穏なときもある。

でも、必要以上に、困難に落ち込まず、幸せにも執着せず、刻一刻と移り変わる感情に流されず、終わることのない欲望だけを追いかけないことが、ハッピーになるための近道。

ポーズも出来なくても、ひとと比べて落ち込んだり自分を否定することはないし、昨日はもっとできたのにと、成功に執着する必要もないし、痛みを我慢して、自分を痛めつけてまで、頑張る必要はないし、これらの際の心の移り変わりにも囚われることもない。

どんな小さな体験も、そこには成長に至るための学びと経験でしかないし、だったら、無いものや出来ないことに目を向けるのではなく、感謝しかない。今この瞬間だって、窓の外を、羨ましく眺めている何年も病室暮らしのの人だっているかもしれない。

愛する家族を残して、この世を旅立たなくてはいけないひともいるかもしれない。

人間だから、悩みがあって当たり前だし、人生に問題があって当然。

足りないものばかり見ていても、永遠に幸せになれない。

だって、人間である限り、欲望が次から次へと湧き起るのは自然だもの。

でも、本当はそうして、なかなか執着を手放せない未熟な自分や、悩みや問題があること自体、今、ここに命があり、生かされている証。

それだけで、素晴らしい。


大きな試練の渦中にいるときは、苦しくて、そんな風にはなかなか思えないかもしれないけど、大丈夫。

暗いトンネルは永遠に続くように思えても、必ず、出口があるから。

そして、出口は入口より、もっと明るくて、広くて、輝いている世界が待っているから。

一見、不幸や不運に見えても、その経験こそが自分をもっと強く優しく成長させてくれるんだ。

だから、何にも怖がらなくても大丈夫。焦らなくても大丈夫。

すでに、自分がここにいるだけで、かえがえなく、意味があり、そして、私たちは皆、成長にしか向かっていないから。

自分のペースで、自分だけの道でいい。


この世のものとは思えない美しい、人生という山の頂上へ至る道は人それぞれ。

誰かの後を追わなくてもいい。自分だけの生き方、道を歩めば。

高みに登れば登るほど、視界が変わり、違った世界が広がるように、困難でも諦めずに歩めば歩むほど、私たちはもっと、自分という

人間や他者、物事に対する理解力を高め、智慧を身に付け、強く柔軟にぶれなくなっていく。

そして、人よりちょっとだけ、今生、早く歩んだ人は、たくさんの人が通る大きな道には、道標をつけてあげよう。

先人たちがそうしてくれたように・・・・。

あとは大きな道は見失わず、大いに寄り道をして、花や木々を眺め、動物たちと戯れ、新鮮な空気を吸い、小川のほとりで休み、

仲間がいたら、仲間たちとの交流やおしゃべりを楽しんで、互いに疲れたら、荷物を持ってあげよう。

大好きなおやつがあったら、“ここぞ!”というときに独り占めしないで、目の前のその人と分かち合おう。

人生は素晴らしい!

生きている、っていいですネ。