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日本の皆さん、こんにちは!

リシケシ・ヨガシャラ、ファウンダーのニーラヴ・プラサードです。

ニックネームは、ニシューです。ニシューとお気軽に呼んでください。

 

私は、ヨガの生まれ故郷である、インド北部ヒマラヤ、リシケシの出身です。

今回は3度目の来日で、昨年(2016年)8月より日本に来て、ちょうど半年が過ぎたところです。

 

私は現地リシケシでは、主に欧米諸国からヨガを学びに来た、ヨガの愛好者や指導者の皆さんに、ヴェーダ哲学、ヨガ思想、マントラ、瞑想法やアーユルヴェーダの他、ヒマラヤに伝わるタントラのヒーリングテクニック(浄化法)などを中心に指導を行なっています。

 

2012年に現地で妻の真理に出逢い、縁あり日本へ招かれることとなりましたが、日本に来てとてもビックリしてしまったのが、日本では、Yogaがインド国内では想像もつかない形で、様々にアレンジされて、人々の間に広まっていることでした。

 

皆さん、初めてお聞きになるかもしれませんが、Yogaの本来の語源は、Yog(瞑想やヨガ哲学そのものを意味するサンスクリット語)+Asana(瞑想の意識状態に向かうための座法、ポーズ、姿勢)であり、ヨガはただの身体的なエクササイズやストレッチ、美容法、健康法ではありません。

肉体的な健康と同じくらい重要なのが心の健康であり、また、ハタヨガは、古来よりヨガの王道とよばれるラージャヨガ(瞑想のヨガ)とともに修練することが推奨されています。Yogの中には、アーサナ(瞑想法)の他にエネルギーの浄化や活性化を目的としたプラーナヤーマ(呼吸法)、また、本来ハタヨガでは、アーサナや呼吸法の準備として行う、シャットカルマ(浄化法)のテクニックがあり、心身よりもっと奥の深い微細なエネルギー、潜在意識や第六感、真我(魂)の領域まで作用する、マントラ(真言)の習得が欠かせないものとなっています。

 

自分自身の心と体をあるがままに見つめ、自己を知り、”人間”や”人生”についての理解を深め、日々の生活への智慧という無形の財産をもたらしてくれるのが、本来のヨガです。

 

自分自身と向き合う過程で得られる外面的な美しさや若さ、健康、豊かさなど外的な要因によって得られる幸福は、ヨガの修練の道においては、後天的にもたらされる副産物であり、それ自体がヨガの目的地・ゴールでは決してありません。

 

外的な美しさやそれによって得られる満足度や幸福は、すべて、常に変わりゆくものであり、肉体の老化に抵抗すること=アンチエイジングも本来は自然の摂理に逆らったものであり、そこに固執して自然の流れに逆らい、自己の存在意義や幸福の尺度を求めていては、人は永遠に内なる幸せに気づくことが出来ません。

 

いかに自分を縛り付け、苦しめている欲やエゴを手放して、五感からの影響に左右されず、内側にある本当の幸せや人生の意義を思いだすことこそが、本当のヨガの道です。

しかし、とても、残念なことに、日本では逆に、ダイエットやバストアップ、ヒップアップヨガなど、外側の美しさを得ることによって、心の平和と幸福感を得るというような、ヨガの伝承からは大きく外れたスタイルの良さや一過性のファッションやヨガのポーズをエクササイズ的なクラスで行なうことばかりが取り上げられているのが現状のようです。

また、瞑想も、その深い意識状態を探究することもなく、ただ単に、”ポーズの形”や”瞑想法のテクニック”ばかりがクローズアップされ、ヨガでは、瞑想に不可欠なマントラはほとんど忘れ去られているようです。ヨガの真髄であるとても、大切な”瞑想”が、その背景にある歴史や思想における考察も乏しいまま、表面的な指導法として流行っているのは、とても危惧するところです。

 

その土地や文化、社会において、求められる形が違うのは当然かと思いますが、1万年以上前のタントラを起源として、ヴェーダの時代から、約4500年もの長い歴史を経て、引き継がれてきたヨガの叡智は、本来、どのような時代、地域、文化、人種によって左右されるものではなく、様々にアレンジされ歪められたものではなく、その真髄こそが、普遍的に人類の力になるものと信じています。

 

日本社会では、ヨガが本来の社会奉仕や福祉ではなく、商業・ビジネスの一つとして、社会に浸透し発展してきた背景もあり、消費者やマスメディアにより、美容エクササイズ的なヨガが多いと妻に聞きました。また、マントラ(真言)も本来は、その伝承者により、直接、口述で伝授されるタントラ(密教)の一つですが、ネット社会の発展により様々なメロディーによって脚色され、動画として世間に出回っています本来、マントラ自体は、目に見えない微細なエネルギーに直接働きかける大変パワフルな言霊であり、使い方を誤るとネガティブな結果をもたらすこともありますが、真実はいつも、さまざまな営利的な思惑によって、隠されています。

 

どの時代も、一過性の流行に左右されることなく、生き残り、語り継がれ、継承されていくのは、人々に本当の幸せをもたらすことの出来る”本もの”だけです。

”真髄”こそがまた、どの国や文化だろうが、この地球上、どこにおいても、大切な基盤であり、最重要事項です。

 

”伝統”は、虚飾を一切取り払い、派手さも流行もなく、一見、地味に見えるかもしれません。

地表に美しく大輪の花を咲かせている一本の木があるとしたら、その先っぽの鮮やかな美しい花に目を奪われ、いかに、美しい花を咲かせるか、人は、ついついそれを追い求めてしまいがちですが、自己実現の大輪の花を咲かせるには、その幹や、目には見えない地中奥深くの根っこや、それが育った土壌や歴史=出自を知らなくてはなりません。

正しい知識という養分を得て、しっかり、大地に根を張ってこそ、一人一人違った、宇宙にたった一人のかけがえのない一個人の、個性豊かな美しいたった一つの”花”を咲かせることが出来るのです。

 

妻の真理と5年前に出逢った当初、私は本当は米国での指導を予定していました。

今回、こうして、ご縁があり、ヨガともゆかりの深い、REIKIの生まれ故郷である、日出ずる国の日本へと大いなる意思によって、導かれた私には、ビジネス的な表面的なヨガではなく、本当のヨガの真髄を伝えることがミッションだと思っています。

 

日本の皆さんは、世界一の親切心と誠実さに溢れ、また、道徳心と規範を重んじる素晴らしい文化習慣をお持ちです。

東日本大震災の際には、私たちインド人だけではなく、世界中の皆さんが、そのような危機的な状況にあっても、落ち着いて冷静に対処し、他者を先に思いやり、個人ではなく社会の協調を重んじる、日本人の皆さんの国民性に心を打たれました。

 

来日を重ねる度に、アジア一の経済大国とハイテクを誇り、アジア諸国からも憧憬の的である日本の皆さんが一方で、多くの方がストレスと心の病に苦しみ、自ら命を断たれる方が多いということを知り、とても悲しく思っています。

また、高齢者の皆さんが子や孫に付き添われることもなく、一人ひっそりとショッピングセンターのフードコートでランチを食べている様子、シングルマザーの皆さんが周囲からの援助もなかなか得ることも難しく孤軍奮闘している様子、ハンディキャップの立場の皆さんが、遠慮してひっそりと暮らす様子は、文明の豊かさと対比して、計り知れない悲しみや焦燥感、絶望感に包まれているのを痛いほど感じます。

誰もが一人の人間としての尊厳が守られ、ヨガが若い女性を中心とした一部の人たちだけではなく、草の根まで広まり、どのような心身のコンディションや環境にある方でも、公平に日本全国の皆さんや社会の隅々まで浸透し、国民の皆さんと社会の役に立つことを願って止みません。

 

英語で”自己実現”のことを、Self-realization(真の自己の目覚め)と言いますが、ヨガの道も同様です。

自らの名声や成功、外的な美しさを目的地として、そこに自己実現を求めるのは、エゴや欲を逆に強めることであり、ヨガ指導に携わる者の真の道ではありません。

 

他者のために役立つこと、喜んでもらうこと、個人ではなく全人類の喜び、平和、幸福を追求すること、それが、本当のヨガの道で(スワダルマ)す。

結果的に、今生を生きる中での人生の味わいである、自らの名声や成功と安定(アルタ)といった社会的な立場や、愉しみ(カルマ)も、いずれ、もたらされ、また、この人生を終える際には心の平和(モクシャ)と共に、安らかにお別れをすることができるでしょう。

 

日本でのヨガスクールは、”利益”を追求する”ことが使命である”Corporation=株式会社”が多くの教室を経営していると聞きました。

そこには、派手な広告や戦略など、マスメディアともつながった、マインドコントロールが存在しているかもしれません。

それが、本場インドと日本のヨガの現状の違いの最たるもののようです。先ほども申したように、インドと単純に比較して、是非を議論するつもりは全くありませんが、どうぞ、これから、ヨガの道を目指す皆さんが、真実を見抜く知性を以てご自身の向かう先=ゴールを見失うことなく、ヨガ指導者である前に一人の人間として、自らの揺るぎのない自己基盤を築かれ、永遠不変の真の幸福にたどり着くことが出来ますよう、心よりお祈りしています。

 

最後に、もし、ご縁がありましたら、皆さんとヨガ指導者養成コースでお目にかかれることを楽しみにしています。

日本への滞在期間は年内ごろまでを予定しておりますが、本当のヨガの真髄を全力をかけてお伝えすることを約束致します。

 

日本社会に、伝統的なヨガの真髄=The Truth & Infinityがもっと広がり、そして、心優しい日本の皆様がより幸せになれますように。

日本社会の闇がヨガの叡智の光によって照らされますように。

ヨガの真髄を伝えていける真の指導者がより、社会に羽ばたいていかれますように。

 

皆さんを心より敬愛しています。

                                                                        師範 ニーラヴ・プラサード

 


毎回、インドに行くたびに、実感することがあります。

それは、私たち日本人は、インドを含む多くの国の人たちよりも、ずっと物質的に豊かで、安全な生活環境で恵まれているのにも関わらず、実際のところは、心の内側に沢山のストレスと悩みと不安を抱え、まだ来てもいない明日のこと(未来)を心配し、朝から晩まで“いい生活”のために働いて、“今を愉しむ”という本当の生きる喜びを忘れてしまっているのではないかということです。 

ストレス社会に生きる私たちは、自分の気持ちにフタをして、お金や地位や人からの評価などのために働き、いつの間にか、本当の自分の感情や感覚さえも分からなくなってしまうことがあります。

 

シングルマザーとして、先天性の心臓病を持って生まれた長男と、長女の二人の子供を抱え、15年間、一般企業の社長秘書として、仕事に明け暮れていた過去の私も同様でした。  無理なオーバーワークに、前夫とのDVによる離婚問題、経営者だった父の会社の倒産と入院など、もろもろの家庭の事情が重なり、気が付いた時にはバーンアウト。心身ともに疲れ果て、そこから逃れるためには、”消えて無くなってしまうしかない”と思い詰めるようになっていました。

自殺願望を抱くようになり、うつ病と診断され、二度の休職と専門医療機関での治療・入院。生きる気力を失い、絶望感に苛まれる毎日・・・。

 

そんな時に、本当の〝生きる意味”に気が付かせてくれたのは、紛れもなく、恩師との出逢いとヨガの哲学的な教えでした。

 

ヨガは、ただ、“ポーズを取ること”だと思われがちですが、本当は、どの時代でもどの場所でも、人類の普遍的なテーマである“人間はどうしたら、幸せになれるか”、そのヒントが沢山つまった実践的な“人生のガイドブック”そのものです。

そこにあるのは、社会的個人的モラルから始まる、”心のコントロール法=瞑想状態”に至るまでの恩恵として得られる心身の健康、気の浄化法など、4000~5000年も前から継承されてきた人類の叡智の結晶です。  

 

欧米では、すっかり、人々の生活の一部になったヨガ。

日本でも多くの人がヨガのポーズに取り組み、また、ヨガの指導者も巷には溢れています。

しかし、これからの時代が求めているのは、ポーズや呼吸法を単なる美容法・健康法の一つとして教える”インストラクター=指揮する人”ではなく、”人はいかに生きるべきか”という伝統的なヨガの思想までをも分かりやすく、ヨガのクラスを通じて、自らの生き方や日常生活を通じて、社会に伝えていける真の指導者です。
 

このコースでは、日本では、手薄になりがちなヨガ哲学を、真理プラサード自身の過去の人生経験やインドでの修練の日々で培った学びを軸に、伝統的なハタヨガのーサナ(ポーズ)、呼吸法、瞑想法、マントラ詠唱法、浄化法、ムドラ、バンダのテクニックをインドアシュラム師範ニシューと共に、分かりやすくお伝えしています。

また、先天性脊柱側弯症や頸椎の奇形、気管支喘息や虚弱体質を生まれ持った真理が、パーソナルトレーナーとしての解剖学や運動生理学での学びをもとに、どのようにハンデを克服し、また、共に生きる知恵を見に付けたか、その経験をベースに、どなたでも安全にヨガのポーズや呼吸法などの実践指導が出来るように導きます。

コースでの総授業時間は200時間以上。養成コースでの実際の授業時間が140~160時間である認定校がほどんどのわが国では、全米ヨガアライアンスRYT200認定校として、全国最多の時間数と豊富な授業内容となっています

 

夫のニシュー・プラサードとともに、皆さまが、ヨガの学びを通じて、さらに人生を輝かせて、人としての学びの道、ヨガの旅路を歩んでいけますことを心よりお祈りしています。

 

                                                                        ディレクター 真理・プラサード

 


私はずっと、得体の知れない“違和感”に苦しんできました。

 

特段、それは、大学で西洋哲学を履修した際に、より明確な脅威となり、アメリカ、フィリピン、そしてインドでの生活を通して、一つの実体を得ました。

 

私が思い知ったのは、“余裕の欠如”です。

私は、哲学ができる場所を探し、時にはそれをつくろうとしました。

しかし、それらは全て徒労に終わりました。それも当然です。何故なら、日本には決定的に余裕が足りなかったのです。

 

私が出会った海外の人々は皆、哲学的でした。

一人一人が自分自身の思想を持ち、しかも、それを客観的に捉えて、他者と議論することが容易にできるのです。こどもたちでさえも…。

その人たちは、別に博士号を持っている訳ではありません。

しかし、文化も言語も異なるはずなのに日本人の多くよりも遥かに話が通じるのです。

何故でしょう。

 

日本は、西洋文明を果敢に吸収し、経済を発展させてきました。この努力は、確かに人々を豊かにしました。

しかし、それは、肉体的な効果に限られます。精神的には寧ろ、豊かさは失われたと断言できます。

仮に、日本が精神的に豊かなら、自殺大国と呼ばれることも、過労死という言葉が生まれることもなかったはずですから。

 

それでは、一体何が私たちを苦しめるのでしょうか。

一つは、時間です。経済成長がもたらした成功経験は、物質と金銭への信頼を絶対的なものとしました。

人々はこの物質と金銭を盲信する余り、自分自身の有限で貴重な時間を忙殺の渦中へと捧げてしまうのです。

そうこうしている内に、人間のために物質や金銭があるのではなく、物質や金銭のために人間があるという異常事態にまで陥りました。

拝金主義が蔓延る社会において、いつも忙しく、心も体も酷使している人に、ゆっくり考える時間なんてあるはずがないのです。

況してそれは、物欲を満たす類ではないのですから。

 

しかし、“考える”とは本来、人間らしい機能です。人間らしさを失った人間は無意識のレベルで、自己矛盾を感じ、自分自身の知性が物質的なことばかりに制限されていることに知的生命体としてストレスを感じているのかもしれません。

 

「目に映るものだけが全てではない」ということを私たちは忘れがちです。目に映らないもの、例えば精神的な豊かさとはなんでしょうか。時間に追われ、不安と焦燥の日々を送る現代人にとって、自分自身の価値ほど直視し難いものはないでしょう。誰かが誰かを勝ち組と呼んで妬み、誰かが誰かを負け犬と呼んで蔑む。

 

しかし、その人の価値を図れるのは社会ではなく、その人自身です。誰にも、他人の価値や意味を決めつける権利はない。

仮に、縛られたかのような、一方的なものの見方を社会が強要するのなら、それは精神的な豊かさには繋がらない。

何故なら、自由ではないから。人間は本来、もっと好きなように、在るが儘に生きていいはずです。利己的で支配欲の強い人が他人の自由を侵害しないために社会が生まれたとしたら、それは敬意以外の表現を持たないはずです。

 

況して、自由を過剰防衛して、好きなことを好きと言わせないように言論を統制するなど、本末転倒も甚だしい。

自由を愛する者は自然と他人の意志も尊重できるようになるはずです。

 

まずは、純粋に自分自身と向き合う時間が必要です。

そして他者も、多角的に、かつ親身に一人の人間として向き合うことが大切です。立場の違いに執着し、損得勘定に駆られ、生産性を表す数値としてしか自他を把握できないのは、悲しすぎます。

 

私が海外で会った人々は、他人の自由、他人の意志を尊重するために、堂々と自分自身の時間を浪費していました。これが余裕です。

こんな風に、時間を贅沢に使うことができるでしょうか。物質や金銭のためではなく、他人と自分の精神的な豊かさを等しく補うために時間を使えますか。

 

今回、海外と日本を比較しましたが、どちらか一方の絶対的な優劣を競う意図はありません。

それは一概に言えないものであって、この場の趣旨とは異なるからです。得るものがあれば、失うものもあるというだけのことです。

私はたまたま、得られたものよりも、失ったもの方が好きだったというだけの話です。

しかし仮に、私と同じく、失われた何かを取り戻したいと願っている人がいるとしたら、私はその手助けができるかもしれません。

 

初めてヨガに触れたときは驚きました。何故なら、ヨガが哲学的だったからです。しかも、行為の中に思想が組み込まれた、実践できる哲学です。予め決められた答え方に合わせるだけの会話、息が詰まるような、建前に建前を重ねた腹の探り合い、タブロイド思考を強要してくる人々に絶望していた私にとって、心を解放できる、本音で語り合える、そんな場所に巡り会えたことは奇跡的でした。

 

ここには余裕が溢れています。他人の嘘に傷つき、自分の嘘に疲れた人にとってはまさに安住の地といえるでしょう。

既にお気付きのように、ヨガは一口に健康法・美容法と言える代物ではありません。哲学的、瞑想的な要素も多分に含んでおり、こういった目に見えざる部分も重んじるのが世界的な主流です。

勿論、解剖学、生理学の面でヨガを捉えることもまた重要だということは、はっきりと強調しておきます。心と体は一つです。そのどちらも、疎かにはできません。心身が調和した時、人生の中心に一本筋の通った軸を直感的に見出すことができると思います。

そしてそれは、決して折れることはありません。

 

一人の指導者として出発する予定の皆さんには、きっと試練が待ち受けていることでしょう。

しかし、そもそも人生自体が試練の連続です。ここではそれが“形になる”というだけだと思います。ここでは数多くの智慧と実践を学びます。

 

ヨガに関心がある方にとっては、間違いなくその深みを知る好機となることでしょう。

また、皆さんがその深みに溺れないよう、最大限サポートすることをお約束します。

私にとって、ヨガは人生を照らす道導です。皆さんにとっても、ヨガが希望となれば幸いです。

共に同じ道を歩める日を、心待ちにしております。

 

 

                                                                                   ヨガ指導者養成コース アシスタント講師(思想・哲学担当)明平 賢文


Do Good, Be Good and Good will Come to You!

善き行いをし、善きひとであれば、よいこともやって来ますよ!


 "Time dosen't wait.  Indecision will only let opportunities slip by. 

Pick a path and walk confidently with your heart behind every step."

 

"時間は決して待ってくれません。決断をせず、ぐずぐずしている間に、機会は私たちの手の平からただ、滑り落ちていくことでしょう。

今こそ、”道”を見出し、その一歩一歩の影にある自分のハートと共に、自信をもって歩んでいこう” 

                                     By Marrie

 

"Yesterday, I was clever so I wanted to change the world, today I am wise, so I am changing myself."

 

”昨日、Clever(頭の回転が速い。合理的に考えられる)だった私は世界を変えたかった。今日、Wise(賢明)である私は、自分を変える”

 

                       By Nishu